人間はどうして勉強しなきゃいけないの?(小5・男子)
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日本語教育専門家・実践家
嶋田和子さん
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気象予報士
寺田サキさん
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ピースボート共同代表
川崎哲さん
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解剖学者
坂井建雄さん
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登山家
渡邊直子さん
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クライマー
平山ユージさん
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サーファー・シェイパー
鈴木正さん
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元郵便局員・『41歳の東大生』著者
小川和人さん
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宇宙飛行士
山崎直子さん
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マサイ族・運転手
マイケル・エドワード・モレルさん
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サイエンス作家・YESインターナショナルスクール校長
竹内薫さん
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解剖学者
養老孟司さん
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作家
町田康さん
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歌人
俵万智さん
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写真家
浅田政志さん
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特定非営利活動法人NGO日本アフリカ国際開発(JANIDA)代表理事
Bukenya Abubakarさん
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ミュージシャン
Shen (Def Tech)さん
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作家、画家、音楽家、建築家
坂口恭平さん
昭和21年東京都生まれ。津田塾大学英文科卒業。外資系銀行に就職後、専業主婦を経て日本語教師となる。平成2年から国際青年交流学園イーストウエスト日本語学校に勤務。副校長まで務めた後退職。現在はアクラス日本語教育研究所代表理事、日本語教育学会監事、杉並区交流協会評議員および日本語教室統括コーディネーターなどに携わっている。著書『外国にルーツを持つ女性たち』(ココ出版)は、日本人と結婚した外国人女性たちの、文化の違いをパワフルに、前向きに乗り越えていくノンフィクション。『できる日本語』シリーズは、新しい日本語教育を目指して作成された教科書。
A
韓国語では勉強のことを感じで”工夫”と書きます
取材・文/Questionary編集部
昭和21年東京都生まれ。津田塾大学英文科卒業。外資系銀行に就職後、専業主婦を経て日本語教師となる。平成2年から国際青年交流学園イーストウエスト日本語学校に勤務。副校長まで務めた後退職。現在はアクラス日本語教育研究所代表理事、日本語教育学会監事、杉並区交流協会評議員および日本語教室統括コーディネーターなどに携わっている。著書『外国にルーツを持つ女性たち』(ココ出版)は、日本人と結婚した外国人女性たちの、文化の違いをパワフルに、前向きに乗り越えていくノンフィクション。『できる日本語』シリーズは、新しい日本語教育を目指して作成された教科書。
A
毎日が楽しくなるから
取材・文/Questionary編集部
1968年東京都生まれ。ピースボート共同代表。2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の国際運営委員・会長。日本平和学会理事。著書に『核兵器はなくせる』(岩波ジュニア新書)、『絵で見てわかる 核兵器禁止条約ってなんだろう?』、『僕の仕事は、世界を平和にすること。』(旬報社)。どれも、世界のできごとと自分とのつながりを考えるきっかけをくれる必読書。2021年、第33回谷本清平和賞を受賞。
A
なにかをよりよい方向に変えるために必要
ICANのメンバーとしてノーベル平和賞を受賞したときもそうでした。メンバー全員、「核兵器をなくすこと」はできる、と心から思って活動している一方、そんなこと絶対できっこないって言う人がどれだけ多かったことか。
「現実はきびしい、変えられない」そんなふうには考えたくないという思いが私はすごくあるし、なにかをよりよい方向に変えるために、私たちには勉強が必要で、そのために勉強したことを使ってほしいと思います。
取材・文/Questionary編集部
東京大学医学部医学科卒業。現在は順天堂大学医学部解剖学教授。著書に『ぜんぶわかる人体解剖図』(共著、成美堂出版)『面白くて眠れなくなる解剖学』(PHP研究所)『骨と関節のしくみ・はたらき ゆるっと事典』『脳と神経のしくみ・はたらき ゆるっと事典』(永岡書店)『はたらく内臓』など。解剖学の教科書や図譜も多数手がける、人体のスペシャリスト。いちばん好きな臓器は腎臓。
A
かならず生きていくための”武器”になります
取材・文/Questionary編集部
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。現在は看護師として働きながら、ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈)に14座ある標高8000m超の山々に挑む。現在13座に登頂すみで、あと1座(シシャパンマ)を登ると日本人女性初の全座制覇の偉業となるが、「それは通過点。子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と語る。
A
自分の知らない自分に出会うため
そんな中で、予想もしなかったことが起こったり、ピンチに追いこまれたりしたとき、「私ってこういう良いところがあって、こんなダメなところがあるんだ」と、新しい自分に気づくことができたんです。
ちなみに今も私が山にのぼりつづける理由は、決して山が好きだからではなくて、そんな「新しい自分」を発見するためです。
地球上に標高が8000mを超える山は、エベレストの8848mを頂点に14座すべてがヒマラヤ(ヒマラヤ山脈とその北西に位置するカラコルム山脈)にあります。今まで私はそれらに26回挑戦し、13座登頂しました(2023年9月現在)。
1回ヒマラヤで山にのぼろうとすると、だいたい2ヵ月は現地で生活することになります。世界中からいろいろな人が来て、生活をともにして、生きるか死ぬかといったきびしい場面もたくさん見ます。それが、本当に自分の刺激になる。だから、毎回“勉強代”としてお金を払って行っているような気持ちなんです。
今の看護師の仕事も、もともと母が看護師で母からいろいろ話を聞いていたこともあったのですが、自分は他人とそんなにうまくコミュニケーションが取れないし、向いていないと思いこんでいました。
でも、あるときたまたまヒマラヤで看護師のようなことをする機会があって、実は「人と話すのが好き」な自分に気づいたんです。ヒマラヤにいると、誰かとしゃべりたくて仕方ないんですよ。
だから、私にもできるかも、と思って、今看護師として働いています。
取材・文/Questionary編集部
1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/
A
勉強の楽しさとクライミングの楽しさは同じ
取材・文/Questionary編集部
1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/
1942年生まれ。新潟県小千谷市出身。ゴッデスインターナショナル株式会社 代表取締役。日本のサーフィン文化の立役者。小さい頃からモノを創ることが好きで、ベニア板で自作のサーフボードを作り始め、好きが高じてサーフショップを開設。「よく人にだまされたけれど、”人を信じる”ところからすべてが始まる」というモットーの元、波瀾万丈な人生を送りつつ、シェーパー兼経営者として最盛期は年間5000本を生産し、サーフショップ『Goddess』は日本のサーフカルチャーの先駆けとして、半世紀以上の間国内外問わず多くの人から愛され続けている(荒井由実の『天気雨』の歌の中には、「サーフボード直しにGoddessまでいくと言った」というフレーズが登場する)。サーファーとしても、第3回全日本選手権大会シニアクラスで優勝、第40回、48回、50回のロイアルクラスでも優勝を飾るなど、数々の好成績を残す。サーフィン以外でも常に時代の波を捉え続け、ウィンドサーフィン、スノーボードのブーム時はいち早くビジネスにも名乗りをあげ成功を収めた。また、プレイヤーとしても、第一回全日本ファンボード選手権大会シニアクラス優勝、スノーボードでは、53歳でA級インストラクターの資格を取得。JABA公認スノーボードスクールを3ヵ所(山梨ミサカカムイ・長野湯の丸・新潟加山キャプテンコースト)開校。現在もシェイパーとして現場にたち続ける職人でありながら、海をこよなく愛するサーファーとして、日々海に入っている。著書に『人生はサーフィン、大きな波に乗れ!人生をエンジョイする16の秘訣』(セルバ出版)。
A
それはね、人生が楽しくなるからですよ
知識を持つと、なんでも楽しくなるじゃないですか。
勉強するってそういうことですよね。
あとは、例えば私の場合、宇宙飛行士になりたいとは思いません。だって、なれないから。
なれないものに無駄な労力を使う必要はないです。人生は短いです。
これなら絶対負けないぞ、と思えるものに心血を注ぐこと。
それが私はサーフィンでした。
まあでも、負けるんだけどね。もっとすごい人はいっぱいいるから。
負けることばっかりじゃないですか、世の中は。
負けは負けで素直に認めて、自分にできる範囲で歩んでいくことです。
だけど「負けないぞ」って思えるかどうかが大事。
取材・文/Questionary編集部
1942年生まれ。新潟県小千谷市出身。ゴッデスインターナショナル株式会社 代表取締役。日本のサーフィン文化の立役者。小さい頃からモノを創ることが好きで、ベニア板で自作のサーフボードを作り始め、好きが高じてサーフショップを開設。「よく人にだまされたけれど、”人を信じる”ところからすべてが始まる」というモットーの元、波瀾万丈な人生を送りつつ、シェーパー兼経営者として最盛期は年間5000本を生産し、サーフショップ『Goddess』は日本のサーフカルチャーの先駆けとして、半世紀以上の間国内外問わず多くの人から愛され続けている(荒井由実の『天気雨』の歌の中には、「サーフボード直しにGoddessまでいくと言った」というフレーズが登場する)。サーファーとしても、第3回全日本選手権大会シニアクラスで優勝、第40回、48回、50回のロイアルクラスでも優勝を飾るなど、数々の好成績を残す。サーフィン以外でも常に時代の波を捉え続け、ウィンドサーフィン、スノーボードのブーム時はいち早くビジネスにも名乗りをあげ成功を収めた。また、プレイヤーとしても、第一回全日本ファンボード選手権大会シニアクラス優勝、スノーボードでは、53歳でA級インストラクターの資格を取得。JABA公認スノーボードスクールを3ヵ所(山梨ミサカカムイ・長野湯の丸・新潟加山キャプテンコースト)開校。現在もシェイパーとして現場にたち続ける職人でありながら、海をこよなく愛するサーファーとして、日々海に入っている。著書に『人生はサーフィン、大きな波に乗れ!人生をエンジョイする16の秘訣』(セルバ出版)。
1956年、千葉県市川市生まれ。1980年、明治学院大学社会学部卒業。証券会社勤務、学習塾講師、教材制作会社勤務を経て、1988年、江戸川郵便局集配課(現日本郵便株式会社)に勤務。1997年、41歳で東京大学に入学し、2001年に卒業。郵便局で働きながら東京大学を受験、合格し、4年間通ったその経験をまとめた著書『41歳の東大生』(草思社)が話題に。2016年に日本郵便株式会社を定年退職。家族は妻と息子ふたり、孫ひとり。
A
知恵と努力の歴史を、 次の世代に伝えるため
人間はどうして勉強しなきゃいけないのか。 将来の夢を見つけたり、夢をかなえるためだろうか。
うん。正しい。
自分の能力を高め、役に立つ知識や技術を身につけるためだろうか。
うん。正しい。
趣味や興味があることを追求し、視野や価値観を広げるためだろうか。
うん。正しい。
それとも、自分に自信をつけ、困難に立ちむかう力をつけるためだろうか。
うん。ぜんぶ正しい。そのとおりである。
目的がはっきりしている人は、そのために勉強すべきである。
でも、もっと長い目で見ると、じつはぜんぶ違う。 本当は、人間はどうして勉強しなきゃいけないのかというと、答えは たったひとつ、遠いむかしから積みあげてきた人間の知恵と努力の歴史を、つぎの世代の人たちに正しく伝えるためだ。ぼくはそう考えている。
えっ? 自分のためじゃないの?
と言われそうだが、長い目で見ると違う。 ぼくたちは、過去の偉大な歴史も、偉大でないできごとも、ぜんぶひっくるめて、つぎの世代に渡さないといけない。そして、つぎの世代の人たちがよりよい方向にかじをとれるように、今の時代のぼくたちが責任をもって努力しないといけない。
それは、人間だけができることなのだ。 そして、勉強することによってのみ可能になることなのだ。 だからぼくたちは勉強しなきゃいけない。 ぼくはそう思う。
ぼくは40歳をすぎて、ふたりの子の父親になり、郵便局員の仕事をしながら、勉強して東京大学に入った。同級生たちはぼくの半分くらいの年齢だった。ぼくは偉くなる気も有名になる気もなかった。ただ、自分が好きでしてきた勉強の楽しさを、気のすむまで味わいたかったのだ。
そうしたらみんながぼくに協力してくれた。
それで、ぼくひとりではとてもできそうになかった勉強をさせてくれた、家族や職場の人たち、大学の先生や同級生たちに感謝することを、ぼくは知ったのだ。
そして、勉強して、ぼくは大学を出たら、その楽しさを誰かに伝えたいと思った。それが、勉強してぼくにできるすべてだったのである。
勉強できるということは、本当は、とても幸せなことなのである。月並みな言いかただけど、世界には勉強したくてもできない人がたくさんいる。だから、ぼくたちは勉強しなきゃならない。
そして、自分を生み、育て、勉強させてくれているおかあさん、おとうさんに感謝してほしい。自分を応援してくれているすべての人たちに感謝してほしい。 教科書に出てくる「偉人」や、教科書になど出てこないが世界を動かしてきた無数の「ふつうの人たち」、本を書いてぼくたちに残してくれた人たち、本をつくってくれた人たちに感謝してほしい。
そのためにも、人間は勉強しなきゃいけない。
取材・文/Questionary編集部
1970年千葉県松戸市生まれ。東京大学工学部航空学科卒業。1996年、同大学航空宇宙工学専攻修士課程修了。1999年、宇宙飛行士候補者に選抜され、2001年、宇宙飛行士となる。2010年、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)の組立・補給ミッションに参加し、15日間宇宙に滞在。物資移送作業全体の取りまとめや、ISSのロボットアームの操作などを担当。現在は一般社団法人Space Port Japan代表理事や公益財団法人 日本宇宙少年団の理事長として、宇宙の魅力を伝え続ける。著書に『宇宙飛行士は見た 宇宙に行ったらこうだった!』(リピックブック)『夢をつなぐ』(角川文庫)など。
A
昨日わからなかったことがわかっていくことの喜びを大切にしてほしい
私は宇宙飛行士に選ばれてから11年間、宇宙に行くことができませんでした。
いつ宇宙船が打ち上がるかわからない毎日の中で訓練は続き、まるで“目隠しをしたままマラソンをしているような状態”でした。でも、どうせなら楽しみながらやったほうがいいし、今は「進む道は平坦でない方がいいかもしれない」「大切なのは、選ぶ道よりもその道をどう歩くか」だと思っています。
学校の勉強もそれに近いかもしれないですね。
勉強することが将来どう生かされるのか、はっきりとしたゴールが見えない。
でもそんなとき、自分でひとつひとつ、昨日わからなかったことがわかっていくことの喜びを大切にしてほしい。
私もそうしていたし、だんだん勉強することが楽しくなってきます。
あとは、まわり道をすることで学べること、見える景色もあるので、人と違うペースでもいい、と自信を持つこと。
誰かと自分を比べるというよりは、昨日よりも今日、今日よりも明日という、それぞれの自分を比べていけるといいんじゃないかと私は思っています。
取材・文/Questionary編集部
1970年千葉県松戸市生まれ。東京大学工学部航空学科卒業。1996年、同大学航空宇宙工学専攻修士課程修了。1999年、宇宙飛行士候補者に選抜され、2001年、宇宙飛行士となる。2010年、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)の組立・補給ミッションに参加し、15日間宇宙に滞在。物資移送作業全体の取りまとめや、ISSのロボットアームの操作などを担当。現在は一般社団法人Space Port Japan代表理事や公益財団法人 日本宇宙少年団の理事長として、宇宙の魅力を伝え続ける。著書に『宇宙飛行士は見た 宇宙に行ったらこうだった!』(リピックブック)『夢をつなぐ』(角川文庫)など。
マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。
A
勉強することは大人になるために大切なことだよ
日本のみんなのように学校の机に座って、書いたり読んだりする勉強ではないけれど、木の下に座って、自然について、薬のつくり方について、そして動物とどうやって戦うかについて、牛の世話のしかた(世話から、殺し方まで)マサイは小さい時から勉強をしているよ。だから、勉強することは大人になるために大切なことだよ。
僕の世代にはマサイは学校に行かない子どもがほとんどだったけれど、今は学校に行ってみんなと同じように読み書きの勉強をしているマサイの子供たちが大勢いるよ。
取材・文/Questionary編集部
マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。
サイエンス作家、YESインターナショナルスクール校長。東京大学教養学部、同理学部を卒業。 カナダ・マギル大学大学院博士課程修了(高エネルギー物理学専攻)。2014年8月にYESインターナショナルスクールを開校。著書に『(伝記絵本)カタリン•カリコの物語』(西村書店)、『誰かに教えたくなる宇宙のひみつ』(徳間書店)『僕たちはいつ宇宙に行けるのか』(山崎直子共著、青春出版社)など多数。 X:@7takeuchi7
A
大人になってから幸せな生活を送るため
それは、大人になってから幸せな生活を送るためです。
もし、学校でやっていることが大人になって幸せになるために役立たないと思うなら、その学校には行かなくていいと思います。別のことをやった方がいい。
じゃあ幸せってなにかと考えてみると、嬉しかったり、ワクワクしたり、ドキドキしたりすること。
あとは、ちょっと苦しかったけど、やり終わったらいい気分になったりすること。そんな“小さな達成感’を積み重ねていくことが、人生の幸せにつながると思います。
何にもしないでなまけているだけでは、達成感はないですよね。それって、あまり幸せではないと思う。嬉しくて楽しいこと、ちょっと大変なこと、両方ないとダメだと思います。
それを経験するために、学校に行くんです。
取材・文/Questionary編集部
1937年11月11日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。日本の医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。2003年に出版された『バカの壁』は450万部を突破。著書『ものをわかるということ』(祥伝社)は、体がおざなりにされた昨今の勉強における「身につける」という言葉の真意や、子どもたちがぶつかるであろうさまざまな壁との向き合い方が綴られた、これからの予測不可能な時代をサバイヴするために必携の一冊。
A
なにかを勉強するには、タイミングが大事
この質問はみんな聞くんだよね。
逆に聞きたいです、「なんで勉強が嫌いなの?」って。
やりたいこと、興味のあることがほかにあるのに、時間をつぶされてしまうとか、親がおっかないとか、先生がおっかないとか、いろいろな理由があるはずで、それを全部ひとまとめにして返事をするわけにはいかないから。
ちなみにこの「鎌倉昆虫同好会々報」は、虫好きが高じて、僕が13歳のときに自分でガリ版(昔の印刷方法。鉛筆のかわりに鉄筆を、紙のかわりにろう原紙を使う。ろう原紙をヤスリの上に乗せて、鉄筆で字や絵を書くと、書いた部分のろうが削れて”版”ができて、何度も印刷できるようになる)で作りました。
自分で全部文章を考えたし、そうすることでいつのまにか国語の勉強にもなり、ずいぶんキレイな字が書けるようにもなりました。
これはその頃捕った虫なんですけどね、こうやってラベルをつけると虫の死骸が標本に変わるんです。このラベルを全部手で書いたりしていたんだから。大変なのわかるでしょ。
つまり、自分がやりたいこと、好きなことが見つかったら、それを実現するために自然といろいろなことをやらなければならないし、できるようになるんです。
そして、なにかを勉強するには、タイミングが大事。
大きくなったら自分ですぐわかることでも、早めに教わると苦痛なんですよね。
だから、いつのまにか勉強って強制されてやるものだと思いこんでしまう。
でも、漫画が読みたくなったら、字が読めるようになるでしょう。
たくさんおしゃべりをしたくなったら、言葉をひとりでに学ぶでしょう。
自分の中に「やりたいこと」が湧き上がってくるのを待つことが、本当は大切です。
それでも、どうしても嫌なことをしなければいけない時があります。そんな時は、僕は「好きなことをやりたかったら、やらなくちゃいけないことを好きになるしかない」と考えて、その問題を解決しました。
あとは、今の世の中がこのまま続くかと言ったらそれは大変な間違いだし、将来のことなんて誰にもわかりません。例えば、また大きな地震が起こるかもしれないし、その時になにが大事になるかはその時にならないとわからないんです。
だから、なんでも自分でできるようになること。
不自由な環境でも、なんとかやっていく力を身につけておくこと。
勉強は、よく「身につける」と言うように、頭だけではなくてもっと体で学習するものです。
それこそ、虫捕り網を持って山を走りまわっても、「よく勉強したね」とは言われないけれど、実はいろいろなことを学んでいるんですよ。
だから、外に行って遊んでください。自分で体を動かして、自然に触れて、感じて考える。それこそが総合学習です。
取材・文/Questionary編集部
1962年大阪府生まれ。『くっすん大黒』でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、『きれぎれ』で芥川賞、『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、『権現の踊り子』で川端康成文学賞、『告白』で谷崎潤一郎賞、『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。また『ギケイキ』シリーズ、『男の愛』、『口訳 古事記』、『宇治拾遺物語』など、翻訳と創作の間を行き来する古典の現代語訳は、今も昔も変わらない人間の愛すべき馬鹿馬鹿しさ、どうしようもない人間らしさが詰まった、それぞれに心の底から笑えて、そしてときに喜怒哀楽を超越した感動を味わえる。
A
勉強は、我慢の練習です。
勉強は、我慢の練習です。
大人になったら我慢しなきゃいけないことがいっぱいあります。
我慢の練習をしないまま大人になるのと、結構練習をして大人になるのとでは、どっちがしんどいかといったらなにも練習しないまま大人になったほうがしんどいんです。
子どものうちに我慢するか、大人になってからしんどい思いをするか。
親は、子どものうちに我慢したほうが楽なことを知ってるから、「勉強せえ!」と言うんです。
だから今、我慢した方がいいよ。
取材・文/Questionary編集部
A
世界を見渡すと、勉強したくてもできない子どもたちがたくさんいます
私は、すごく勉強が好きな子どもでした。勉強すると、知らないことを知ることができたから。
いくら勉強しても怒られることはないし、「楽しいことやってほめられるって最高じゃん!」と思っていました。
今の子どもたちは、まわりの大人たちに「勉強しなさい」って強制されている面もあるだろうから、勉強=嫌なもの、と思ってしまうのもわかります。
そういう意味では、私はまわりの大人に恵まれたのかもしれません。
私の父があるとき、「万智はいいなあ。一日勉強していられて」と、心底うらやましそうに言ったんです。父は勉強することが大好きだったんですね。
また、母はすごく本を読むのが好きで、ときどき夕飯の支度を忘れるほど夢中になっていました。
大人が楽しそうにやっていることって、子どももやりたくなりますよね。
だから、「勉強しなきゃいけない」と嫌な気持ちになっているとしたら、それはまわりの大人が間違っているのかもしれない。
でも、世界を見渡すと、大人の都合で働かされて、勉強したくてもできない子どもたちがすごくたくさんいます。だから、一日中勉強できて、しかもそれでほめられるというのはめっちゃ幸せだということをまず知ってほしいです。
それと、教科書には自分ひとりでは思いつかないようなことがまとめて書いてあって、すごくお得です。今まで人類が長い時間をかけてわかったことの「詰め合わせ」なので、食わず嫌いしないで一度全部食べてみましょう。
口に合わないものもあるかもしれないけど、「これはもっと勉強してみたい!」と思うものがきっと出てくるはずです。
取材・文/Questionary編集部
1979年三重県生まれ。2009年、写真集「浅田家」(2008年赤々舎刊)で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。2010年には初の大型個展、『Tsu Family Land 浅田政志写真展』を三重県立美術館で開催。2020年に著書の『浅田家』、および『アルバムのチカラ』(2015年赤々舎刊)を原案として公開された映画『浅田家!』には、著書の写真からも滲み出ている本来当たり前に大切なこと(ちょっとしたユーモアだったり、誰かを思いやる気持ちだったり)が、家族という形の中で丁寧に描かれている。2020年には「浅田撮影局 まんねん」(青幻舎刊)と「浅田撮影局 せんねん」(赤々舎刊)を発表。新作個展「浅田撮影局」をPARCO MUSEUM TOKYOで開催した。
A
大人になって自分がやりたいことをやるため
僕は写真家で、中学校のときから写真が好きで、高校も写真部に入って、そこから写真の専門学校に通って、よく人から「小さいときの趣味が仕事になっていいね」と言われます。まさに、好きなことが仕事になったタイプです。
でも、写真の仕事をするようになって思ったことは、ただ写真を撮っていたらいいわけでは決してなくて、写真を撮るために、メールのやりとりをしたり、営業したり、経理のことを考えたり、いろいろな仕事がついてくるわけです。それをやらないと、自分がやりたいことはやれないんですよね。
学校も、毎日決まった時間に行かなきゃいけないとか、静かにしなきゃいけないとか、いろいろな要素で行きたくない子もいると思うんですけど、大人になってもそういう嫌なことはやらなきゃいけないときがあって、学校はある意味そのための勉強になるんですよ。
そこから逃げ続けていると、大人になっても逃げてしまって、やりたいことがやれなくなってしまいます。
「なんでこんなこと勉強しなきゃいけないんだ」って思いますよね。でもそれは、やれば頭が良くなるだけではなくて、自分がどうやったらそういう嫌なこと、あまりやりたくないことを楽しんでできるか、の勉強でもあるんです。
とはいえ、勉強って本当は楽しいものだと思うんですけどね。本当はみんな勉強したいはずなんですよ。
僕、7年ぐらい前に、ペルーのジャングルの中に住んでいる先住民族の方々の取材に行ったんです。電気も通っていない場所で、写真を撮って見せるとみんな興味津々で。勉強も同じで、もしそこに学校ができて「勉強ができるよ」って言ったら、子どもたちはみんな喜んで行くと思うんです。
人間は、勉強したい、いろんなことを知りたいっていう欲望が絶対あるはずだから。
取材・文/Questionary編集部
1979年三重県生まれ。2009年、写真集「浅田家」(2008年赤々舎刊)で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。2010年には初の大型個展、『Tsu Family Land 浅田政志写真展』を三重県立美術館で開催。2020年に著書の『浅田家』、および『アルバムのチカラ』(2015年赤々舎刊)を原案として公開された映画『浅田家!』には、著書の写真からも滲み出ている本来当たり前に大切なこと(ちょっとしたユーモアだったり、誰かを思いやる気持ちだったり)が、家族という形の中で丁寧に描かれている。2020年には「浅田撮影局 まんねん」(青幻舎刊)と「浅田撮影局 せんねん」(赤々舎刊)を発表。新作個展「浅田撮影局」をPARCO MUSEUM TOKYOで開催した。
特定非営利活動法人NGO日本アフリカ国際開発(略称JANIDA)代表理事。日本人有志と協力をしてアフリカの地域社会に影響を及ぼしている気候変動、自然災害、飢餓、貧困などの解決に取り組んでいる。現在、日本に来て6年。
A
人生はときに困難だ。もし勉強しないと、人生はもっと困難になる
僕も、勉強は最初は嫌いだった。両親には「ほら、これをあげるから」とお菓子をエサに、学校に行かされていたなあ。
でも、少し経ったら学校が楽しくなって「家から帰りたくない」って言ってたよ(笑)。
この質問にはたくさんの答えがあると思うけど、僕の意見は、勉強すれば知的になれるし、考えの幅を広げてくれる。大人になったときのキャリアや雇用を助けてくれるものだと思う。
僕のおじさんのうちのひとりが人道支援の組織で働いていて、彼は私の見本だったんだ。
スーツを着てネクタイを締めて、いい車に乗っていて、中学校のときから憧れていた。
だから、ウガンダの国立大学を卒業した後、おじさんが働いていた組織と同じような組織に入って、難民や自然災害に被災した人々の食事や生活物資をサポートする仕事を始めたのさ。
そうして今、その活動の延長で日本に来て6年になる。
人生はときに困難だ。でももし勉強しないと、人生はもっと困難になるよ。
取材・文/Questionary編集部
特定非営利活動法人NGO日本アフリカ国際開発(略称JANIDA)代表理事。日本人有志と協力をしてアフリカの地域社会に影響を及ぼしている気候変動、自然災害、飢餓、貧困などの解決に取り組んでいる。現在、日本に来て6年。
透明な歌声、心地よいメロディ、深い歌詞、才能豊かなパフォーマンス。
彼の音楽は美と哲学が融合し、DJとウクレレという独特の演奏スタイルは心地よいアイランドミュージックとして、オーディエンスの心を惹きつける。2008年Sony Music Associated Records よりオリジナルアルバム「SOLAIRO」をリリース。
近年は、ソロ活動の他に、様々なアーティストともコラボ活動も積極的に行っている。
2024年5月にはデジタルニューシングル「Cruz Li Dat」をリリース。
Def Tech としては"My Way"を含むファーストアルバム『Def Tech』を2005年に発売し280万枚超のセールスを記録した。2024年にはNulbarichのJQプロデュースによるデジタルニューシングル「FANTASY」をリリースし、現在はWhat The Frequency Tour を全国で開催中。
A
学校を卒業してから本当の勉強が始まります。
僕も小学校1年生のとき気づいたよ、「(高校卒業するまで)あと11年間も学校行かなきゃいけないの? やばい!」って(笑)。
でもね、それが人生です、死ぬまで勉強です。
何よりも、僕たちは成長するためにこの地球にいるんです。
そして、実は学校を卒業してから本当の勉強が始まる。
こんなこと言うとさらにがっかりしちゃうかな(笑)。
でも、中学校3年生のときに突然気づいたんです。「あと4年間しかないんだ。じゃあ、楽しめばいいか」って。そうしたら、そこからの4年間は本当に早かった。英語でTime flies so fastって言うけど、楽しいときって時間が飛ぶんです。
ただ本から学ぶことだけではなくて、友達や大人や異性とのことなど「社会とは何か」を知ることができるし、今振り返ると、学校は大切な場所だと思うな。
取材・文/Questionary編集部
透明な歌声、心地よいメロディ、深い歌詞、才能豊かなパフォーマンス。
彼の音楽は美と哲学が融合し、DJとウクレレという独特の演奏スタイルは心地よいアイランドミュージックとして、オーディエンスの心を惹きつける。2008年Sony Music Associated Records よりオリジナルアルバム「SOLAIRO」をリリース。
近年は、ソロ活動の他に、様々なアーティストともコラボ活動も積極的に行っている。
2024年5月にはデジタルニューシングル「Cruz Li Dat」をリリース。
Def Tech としては"My Way"を含むファーストアルバム『Def Tech』を2005年に発売し280万枚超のセールスを記録した。2024年にはNulbarichのJQプロデュースによるデジタルニューシングル「FANTASY」をリリースし、現在はWhat The Frequency Tour を全国で開催中。
1978年熊本県生まれ。2004年に路上生活者の家を収めた写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。著作に『独立国家のつくりかた』『苦しい時は電話して』『モバイルハウス 三万円で家をつくる』、『躁鬱大学』、『お金の学校』『土になる』や、小説『幻年時代』、『徘徊タクシー』、『けものになること』、ほか画集、料理書など多数。
躁鬱病であることを公言し、2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービス「いのっちの電話」を自身の携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2023年2月に熊本市現代美術館にて個展「坂口恭平日記」を開催。新著『生きのびるための事務』は、自分自身と向き合い、喜びだけでなく苦しい体験も含めて面白がり、新たな自分を発見していくことの喜びにあふれた一冊。
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勉強は、自分で学んだことを詰めていくカバンづくりみたいなもの
勉強というのは、自分が興味があることを進めていくこと。
だから、自分がやってみたいことがもうはっきりしているなら、それをとことんやるのが一番です。
だけど、まだ小さいうちはそれがなんなのかがわからない。そういう子たちにとっては、今はゲームに例えて言うと「AボタンがジャンプでBボタンがキックか」「右ボタンを押しながらBボタンを2回押すと連続攻撃ができるのか」みたいに、操作方法を覚えている時間なんです。
足し算とか引き算とか、よくわからないものいろいろやらされてるように思うかもしれないけど、そもそも勉強は、自分で学んだことを詰めていくカバンづくりみたいなものです。
カバンの中身は、何を入れたか忘れちゃったり、いらなくなったりします。でも、いろいろなものを入れておくと、結構大きなカバンになるわけです。
そうすると、例えば自分が年齢を重ねてなにか新しい知識を身につけていくときに、それをまたたくさん入れることができます。
逆に言うと、最初から勉強しないでそのカバンになにも入れていないと、気づいたらポケットぐらいの大きさにしかならなくて、少ししか入らなくなっちゃう。
ただ、この考え方は自分のやってみたいこと、好きなことがぼんやりしている人向けです。
好きなことは「こうしたら見つかる」という方法はありません。見つける人は見つけるし、見つからない人は見つからない。
確認してほしいのは、今の自分に好きなことがあるかどうか、だけ。あるんだったら、「とことん突き進む」。ないんだったら「四の五の言わず勉強する」。
もし、今好きなことがなくても、きっといつか出会うので大丈夫です。ただ、好きなことに出会ったときが大事です。その時はそれをちゃんとつかんで、絶対に離さないで欲しい。
お父さんやお母さんにごちゃごちゃ言われても、そこはもう無視して、自分の気持ちを譲らないように。そうしないと、あとで死にたくなります。
今みんなが生きづらい理由って、好きなものを手放しているからだから。
取材・文/Questionary編集部
1978年熊本県生まれ。2004年に路上生活者の家を収めた写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。著作に『独立国家のつくりかた』『苦しい時は電話して』『モバイルハウス 三万円で家をつくる』、『躁鬱大学』、『お金の学校』『土になる』や、小説『幻年時代』、『徘徊タクシー』、『けものになること』、ほか画集、料理書など多数。
躁鬱病であることを公言し、2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービス「いのっちの電話」を自身の携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2023年2月に熊本市現代美術館にて個展「坂口恭平日記」を開催。新著『生きのびるための事務』は、自分自身と向き合い、喜びだけでなく苦しい体験も含めて面白がり、新たな自分を発見していくことの喜びにあふれた一冊。