自然の食べものは、地球からの贈りもの。それはとてもからだに良いけれど、お菓子は加工されたものだから、そればっかり食べるとからだに良くないんだよ。自然からはなれすぎると、あまり良くない気がします。
なんでお菓子ばっかり食べたらダメなの?(6歳・男子)

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『奇跡のリンゴ』農家
木村秋則さん
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マサイ族・運転手
マイケル・エドワード・モレルさん
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サッカー元日本代表
中村憲剛さん
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『私は93歳の新聞記者』著者
涌井友子さん
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猟師
黒田未来雄さん
1949年、青森県中津軽郡岩木町で農家の次男坊として生まれる。木村さんのリンゴの無農薬栽培への挑戦と成功を記録した本『奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』が大ヒットし、以降世界中からたくさんの人々が木村さんの知恵を借りるため、木村さんの元を訪れる。今も変わらず自然の中で畑仕事に精を出す日々。
A
体がちゃんと成長しなくなるから
自然の食べものは、地球からの贈りもの。それはとてもからだに良いけれど、お菓子は加工されたものだから、そればっかり食べるとからだに良くないんだよ。自然からはなれすぎると、あまり良くない気がします。
取材・文/Questionary編集部
マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。
A
強くて元気な大人にはなれないから
マサイは砂糖が大嫌いで、食事で砂糖と油は使わないんだ。
その代わりに、自然のはちみつと、牛肉の油を使うよ。だから、マサイは子供も大人もとっても強い。
マサイの子供が大好きなお菓子は、トウモロコシとお豆を煮込んだNgararumuというものだよ。
このお菓子を食べて育つからみんな健康でたくましく成長している。
砂糖と油ばかりのお菓子は食べ過ぎないようにしよう。そうしないと強くて元気な大人にはなれないから。
取材・文/Questionary編集部
マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。
1980年10月31日生まれ。中央大学卒業後、2003年に川崎フロンターレに加入し、同年Jリーグ初出場。以降、現役生活18年をすべて川崎で過ごし、Jリーグ通算546試合出場83得点を記録。司令塔として3度のJ1優勝に貢献し、Jリーグベストイレブンに8度選出、2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表では68試合出場6得点。2010年南アフリカ・ワールドカップ出場。2020年に現役を引退。以降、川崎フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)やJFAロールモデルコーチ、解説業など、幅広い分野で活躍中。
A
お菓子“ばっかり”じゃなくて、ちゃんとご飯も食べないと
お菓子、僕も大好きです(笑)。今でも好きです。
でも、お菓子“ばっかり”じゃなくて、ちゃんとご飯も食べないと大きくなれないんじゃないかな。
でも、この質問に答えるのは難しいですね。
僕は、プロになったときに体調管理のためにいろいろなものを控えました。
生ものを食べるのをやめ、とんかつの衣を外し、油ものを避け、お菓子も食べず、炭酸も飲まず…。
焼肉を食べたくても、「シーズン中だから太るとよくない」と我慢して、とにかく体に悪そうなものは全部やめてみたんです。
でも、それでサッカーのパフォーマンスが劇的によくなったかというと、正直そうでもなかった。
どちらかというと、「チョコ食べたいな」「お寿司食べたいな」と思っても食べられないストレスのほうが大きかったんです。
だから、ある時に全部我慢するのをやめました。
例えば、焼肉を食べたいと思ったら、素直に食べる。
すると、ちょっとした幸せを感じられて、その積み重ねがいいパフォーマンスにつながるようになったんです。
体のために我慢のストレスを抱えるよりも、自分へのご褒美で心のバランスをとるほうが、僕には合っていました。
ただ、最初にも言ったように、お菓子ばかりでご飯を食べないのはダメ。
それは、サッカーを教えている子どもたちにも、いつも伝えています。
取材・文/Questionary編集部
1931年、静岡県生まれ。終戦後、鉄道会社での勤務を経て、1958年に結婚。1974年に夫婦で中野区の地域新聞『週刊とうきょう』を創刊。1982年に夫が他界後も発行し続けている。ボランティア団体『夢のかけ橋』に所属し、地域の子どもたちを見守りながら世代間の交流も深める。2024年に『週刊とうきょう』は創刊50周年を迎えた。著書に『私は93歳の新聞記者』(草思社)。
A
小さい頃のおやつといえばお庭のみかんや柿を食べていました
お父さんもお母さんもあなたたちのことが大好きで、健康に育ってほしいと思っているから、「お菓子ばかり食べたらダメ」と言うんです。
私は、小さい頃のおやつといえばお庭にみかんや柿の木があったので、よくそれをとって食べていました。
ほとんど自給自足みたいなものです。
だから、なにかおやつを買って食べた記憶はありません。
戦時中でしたし、駄菓子屋もなかったですから。
そもそも、私は小さい頃すごく体が弱くて、自家製の梅エキスや、本当にちょっとのお酒の中に小さいどじょうを1匹入れたものを、寝る前に飲まされたりしていました。
何のためだったのでしょうね。今は何のためか思い出せなのですけれど。
切り傷があれば生えている草を塩で揉んでそれをつけたり、イチジクの白い汁をつけたり。
今の人たちにいうと「ウソでしょ?」と驚かれるんですが(笑)、そんなふうに、昔はお医者さんには行かず、自分の家で治そうとしました。
それと、小学校6年生のとき、学校で虚弱児童(体の弱い子たち)と認められると、夏に2週間くらい静岡県の御前崎という場所にある小学校に行かされました。
親はついてきません。
そこで子どもたちが一緒に寝泊まりするのですが、例えば人参が嫌いって言うと、毎日人参を出される(笑)。
だからそこへ行くと、嫌いなものも嫌いじゃなくなって帰ってきます。
そういう時代だったんですね。
取材・文/Questionary編集部
1931年、静岡県生まれ。終戦後、鉄道会社での勤務を経て、1958年に結婚。1974年に夫婦で中野区の地域新聞『週刊とうきょう』を創刊。1982年に夫が他界後も発行し続けている。ボランティア団体『夢のかけ橋』に所属し、地域の子どもたちを見守りながら世代間の交流も深める。2024年に『週刊とうきょう』は創刊50周年を迎えた。著書に『私は93歳の新聞記者』(草思社)。
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。
A
試しに1週間お菓子だけ食べてみたらどうでしょう?
僕は、わからないことがあったらやってみたらいいんじゃないかと思っています。
だから、試しに1週間お菓子だけ食べてみたらどうでしょう?
そうしたら、自分で何か感じることができるんじゃないかな。
僕は猟師なので、自分で撃った鹿の肉を食べます。
生きている状態で撃ち、どんなふうに死んでいったかを見ていますから、僕にとっては「食べる」ことは単に栄養をとるということではなくて、一個人(鹿)対一個人(自分)との、1対1の関係、何かの契りを結ぶような感覚なんです。
その関係性をきちんと結んで命をいただくので、もちろん完璧ではないですけど、その命に対して恥じない生き方をしなきゃいけないと常に思うし、それが僕にとっての「食べる」ということなんです。
自然派のお菓子や、作り手の気持ちがこめられたお菓子もたくさんあるし、お菓子だけを「体に良くない」と悪者にするつもりはありません。
でも、そればかり食べていたらすぐに飽きちゃうし、体もおかしくなるだろうから、とりあえずやってみたらいいんじゃないかな? って思います。
取材・文/Questionary編集部
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。