たとえば、いつも見ているテレビのアニメや、読んでいる絵本などは、本当のことではないですよね。あれも、ウソと言えばウソ。だけど、みんな見て読んで、わくわくしたり、楽しんだりしていますよね。
誰も傷つかないし、みんなで大笑いできるウソだったら、もう競争してみんなで言い合えばいい。そうすれば、毎日がどんどん面白くなると思うんです。
ウソについて、「冗談とどう違うの?」という質問もありましたが、これは同じだと思うんですね。ウソをいけないこと、冗談をいいことと言うことが多いように思います。
冗談は、誰かを楽しませようとしてつくウソ。ただ、冗談もウソと同じように良い冗談と悪い冗談があって、悪い冗談は人を傷つけます。だからやっぱり、ウソにしても冗談にしても、自分がそれを言うときには、言われたらどう思うかなっていうのを、言う前にちょっと考えてみる。
例えば、自分のお母さんとかお父さんの話を友だちにするときに、お父さんやお母さんがいない子は、その冗談を聞いて悲しい気持ちになるかもしれない。
だから、いろいろな人がいて、いろいろな感じ方や考え方があるということが少しずつわかると、どういうウソがみんなを楽しませて、人を傷つけてしまうのかわかってくると思います。そうすると、いいウソとか、いい冗談がどんどんつけるようになりますよ。
「ウソだ!」って言う前に、「どうしてウソをついたのかな」
ちゃんと考えると自分がこれまでに誰かを傷つけてきたことを思い出してしまうし、それはつらいことだから、なるべく忘れたい。だからとりあえず「ウソをついちゃいけないよ」と言っていると思うんですよね。
だから、「今まで一番誰かを悲しませたウソはなに?」って、お父さんとお母さんに聞いてみるといい。どんなウソで、どんなふうに人を傷つけてしまったかということを、すごく嫌な顔しながら、でも一生懸命教えてくれると思います。
自分も小学生3年生のとき、モデルガンを持ってないくせに持ってるって言いつづける友だちがいて、「じゃみんなで見に行こうぜ」ってその友だちの家にまでみんなで行って。でも家にはやっぱり無くて、「今は無い」「じゃあ明日持ってこいよな」なんて話をして。
相手が嘘をついたことをウソだって言うのは気持ちがいいことだから、やりだすと止まらなくなってしまうんですけど、私たちが生きている世界はいいウソ、悪いウソに囲まれています。だから「ウソだ!」って言う前に、「どうしてウソをついたのかな」ということを、一歩止まって考えてみる。
例えば「なんでこの子はモデルガンを持ってるってウソを言ったのかな」って考えてみたら、みんなにすごい!って注目されたかったんだろうなとか、勉強が苦手な子だったから、なにか他のことで注目して欲しかったんだろうなとか、ちょっとずつ友だちの気持ちがわかってくる。
それだけで、いじめも含めて世界のいろんなことが少し良くなると思うんです。
ウソは、自分を前に走らせて成長させる力もある
今この瞬間、本当の自分よりもほんの少し良い自分でありたい。それって自分につくウソであって、そのウソを大切にして、どんどん叶えていけばいいと思うんですよね。そうすれば、少しずつ目指す自分に近づいていけるわけだから。ウソは目の前にぶら下がった人参みたいに、自分を前に走らせて成長させる力もあるんです。