自分は楽しいのになんで楽しくないって言う友だちがいるの?(5歳・男子)
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哲学者
岸見一郎さん
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登山家
渡邊直子さん
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サーファー・シェイパー
鈴木正さん
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クライマー
平山ユージさん
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元郵便局員・『41歳の東大生』著者
小川和人さん
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マサイ族・運転手
マイケル・エドワード・モレルさん
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環境活動家
露木しいなさん
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作家
町田康さん
書いた本『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(古賀史健との共著、ダイヤモンド社)はベストセラーになり、世界中で1200万部売れている(2023年7月現在)。他の本に『泣きたい日の人生相談』、『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』(講談社)、『ゆっくり学ぶ』(集英社)など。
A
違いがあることを知るのは大事
取材・文/Questionary編集部
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。現在は看護師として働きながら、ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈)に14座ある標高8000m超の山々に挑む。現在13座に登頂すみで、あと1座(シシャパンマ)を登ると日本人女性初の全座制覇の偉業となるが、「それは通過点。子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と語る。
A
みんなが同じことをやらなければいけないわけではない
登頂が目的ではなくて、そこでの生活が楽しみで行っている。そこで自分が知らないことを知れること、新しい自分を発見できることが楽しいんです。
だから、しかたないですよね。みんなが同じことをやらなければいけないわけではないし、みんなと違ってもぜんぜんオッケーです。
取材・文/Questionary編集部
1942年生まれ。新潟県小千谷市出身。ゴッデスインターナショナル株式会社 代表取締役。日本のサーフィン文化の立役者。小さい頃からモノを創ることが好きで、ベニア板で自作のサーフボードを作り始め、好きが高じてサーフショップを開設。「よく人にだまされたけれど、”人を信じる”ところからすべてが始まる」というモットーの元、波瀾万丈な人生を送りつつ、シェーパー兼経営者として最盛期は年間5000本を生産し、サーフショップ『Goddess』は日本のサーフカルチャーの先駆けとして、半世紀以上の間国内外問わず多くの人から愛され続けている(荒井由実の『天気雨』の歌の中には、「サーフボード直しにGoddessまでいくと言った」というフレーズが登場する)。サーファーとしても、第3回全日本選手権大会シニアクラスで優勝、第40回、48回、50回のロイアルクラスでも優勝を飾るなど、数々の好成績を残す。サーフィン以外でも常に時代の波を捉え続け、ウィンドサーフィン、スノーボードのブーム時はいち早くビジネスにも名乗りをあげ成功を収めた。また、プレイヤーとしても、第一回全日本ファンボード選手権大会シニアクラス優勝、スノーボードでは、53歳でA級インストラクターの資格を取得。JABA公認スノーボードスクールを3ヵ所(山梨ミサカカムイ・長野湯の丸・新潟加山キャプテンコースト)開校。現在もシェイパーとして現場にたち続ける職人でありながら、海をこよなく愛するサーファーとして、日々海に入っている。著書に『人生はサーフィン、大きな波に乗れ!人生をエンジョイする16の秘訣』(セルバ出版)。
A
いろいろな人がいる、ということ
たとえばサーフィンの大会って、勝ち負けがあります。
負けて悔しい、だから次がんばろうと切り替えられる人がいたり、自分の頭をボコボコに叩き自分を責める人もいる。それはそのときのそれぞれの感情。
いいか、悪いか、じゃなくて、得意な人、不得意な人、速い人、遅い人、
いろいろな人がいる、ということなんです。
ただ、その何かを楽しいと思う気持ち、好きという気持ちは、大切にしてください。
「好きこそものの上手なれ」と言うように、あきらめず、挑戦し続ければ、
その延長線上に何かが見つかりますから。
取材・文/Questionary編集部
1942年生まれ。新潟県小千谷市出身。ゴッデスインターナショナル株式会社 代表取締役。日本のサーフィン文化の立役者。小さい頃からモノを創ることが好きで、ベニア板で自作のサーフボードを作り始め、好きが高じてサーフショップを開設。「よく人にだまされたけれど、”人を信じる”ところからすべてが始まる」というモットーの元、波瀾万丈な人生を送りつつ、シェーパー兼経営者として最盛期は年間5000本を生産し、サーフショップ『Goddess』は日本のサーフカルチャーの先駆けとして、半世紀以上の間国内外問わず多くの人から愛され続けている(荒井由実の『天気雨』の歌の中には、「サーフボード直しにGoddessまでいくと言った」というフレーズが登場する)。サーファーとしても、第3回全日本選手権大会シニアクラスで優勝、第40回、48回、50回のロイアルクラスでも優勝を飾るなど、数々の好成績を残す。サーフィン以外でも常に時代の波を捉え続け、ウィンドサーフィン、スノーボードのブーム時はいち早くビジネスにも名乗りをあげ成功を収めた。また、プレイヤーとしても、第一回全日本ファンボード選手権大会シニアクラス優勝、スノーボードでは、53歳でA級インストラクターの資格を取得。JABA公認スノーボードスクールを3ヵ所(山梨ミサカカムイ・長野湯の丸・新潟加山キャプテンコースト)開校。現在もシェイパーとして現場にたち続ける職人でありながら、海をこよなく愛するサーファーとして、日々海に入っている。著書に『人生はサーフィン、大きな波に乗れ!人生をエンジョイする16の秘訣』(セルバ出版)。
1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/
A
自分からみんなに声をかけてみる
僕も小さい頃はこう思っていたと思います。
たしかに、その時々に違うことをしたいと思っている子はいるかもしれませんね。
小学校2年生の頃だったか、僕は東京の葛飾区に住んでいたのですが、地図を見て「千葉県てどんな場所なんだろう」と思って、友だちに声をかけて3、4人で行ったことがあるんです。大きな橋を渡ると田園風景が広がって、「すげえ、雷魚がいる!」って興奮したりして。“冒険”て感じで、すごい楽しかったんですね。
だから、こんなふうに自分からみんなに声をかければ、集まってきた子たちは興味があって来たわけだから、この質問にあるようなことにはならないんじゃないかな。
取材・文/Questionary編集部
1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/
1956年、千葉県市川市生まれ。1980年、明治学院大学社会学部卒業。証券会社勤務、学習塾講師、教材制作会社勤務を経て、1988年、江戸川郵便局集配課(現日本郵便株式会社)に勤務。1997年、41歳で東京大学に入学し、2001年に卒業。郵便局で働きながら東京大学を受験、合格し、4年間通ったその経験をまとめた著書『41歳の東大生』(草思社)が話題に。2016年に日本郵便株式会社を定年退職。家族は妻と息子ふたり、孫ひとり。
A
だから世のなかはおもしろいんだ
うーん。 みんなで今、ドッチボールをしているとして、どんなことになるか、考えてみよう。
ボールを投げるのがじょうずで、つぎからつぎへと相手にボールを当てることができる人。この人は、はじめからおわりまで楽しいかもね。 反対にボールをよけるのがとてもうまく、相手にボールをほとんどぶつけられない人。この人も楽しいかもね。
では、こんどはうんどうが苦手で、ボールを投げてもどこに飛んでいってしまうかわからない人。ボールではなく自分が飛んでいってしまうような人。この人はドッチボールが楽しいと思うだろうか。
またボールをよけるのが苦手で、すぐにボールをあてられてはコートの外に出されてしまう人も、ドッチボールが楽しいと思うだろうか。
はじめは楽しくても、だんだん楽しくなくなるかもしれないね。
苦手だなー、いやだなー、と思って.「楽しくない」って言うかもしれないね。
でも、それでいいんだと、ぼくは思う。
人はいろいろで、みんな得意なことや得意でないことがあり、そうやって世のなかは成りたっているんだ。だから、ドッチボールが楽しいという人と、楽しくないという人がいてあたり前だ。
もちろん、どんなにうまくいかなくても、それでも「楽しい」という人はいるしそれはそれでいい。 でも、ドッチボールは苦手できらいだけど、ほかのうんどうや、勉強なら大好き、という人もきっといて、それでいい。 世のなかにはいろんな人がいることを、「多様性」(たようせい)といって、だから世のなかはおもしろいんだ。
でも、安心してほしい。
人の「楽しい」や「楽しくない」、好きやきらいは、変えることができる。 得意でない人、好きでない人でも、ルールややりかたを勉強して、いちばんよい方法を考え、仲間と協力して、練習をくりかえせば、きっとじょうずになったり、好きになったりすることができる。「楽しくない」を「楽しい」に変えることもできる。
ぼくもかぞくといっしょにバドミントンのチームに入っていたとき、ぼく以外のかぞく3人はバドミントンの選手だった人たちだから、じょうずだったのに、ぼくだけヘタクソだった。
だからはじめは、試合に出るのは「いやだなー」と思っていたけど、みんなで練習して作戦を考え、試合に出たとき、ぼくはバドミントンがすっかり好きで、楽しくなっていた。 それにぼくは、かぞくみんなでいっしょにうんどうすることができて、それだけでとても楽しかったんだ。
でも、ぼくはじつは一度も試合で勝ったことがなかったけどね。
取材・文/Questionary編集部
マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。
A
うーん。その友達とお話をしてみて
そして、楽しい君と一緒に楽しめるようにしてあげよう。
取材・文/Questionary編集部
マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。
2001年1月18日生まれ。神奈川県出身。高校時代はインドネシアのバリ島にあるグリーンスクールへ留学。2019年9月、慶應義塾大学環境情報学部に入学。 現在、気候変動の問題を子どもたちに伝えるため大学を休学し、環境活動家として活動中(全国の小中高大学約220校、3万人に講演)。また、日本初、国際基準コスモスオーガニック認証を取得したリップSHIINA organicをプロデュース。環境問題の解決策を紹介しているリールは小学生が見てもわかりやすいものばかり。Instagram:@shiina.co
A
その子が好きなものを、今度は自分が好きじゃないかもしれない。
みんなそれぞれ違うからね。
ドッチボールを嫌いと言ったその子が、なにが好きなのかを聞いてみたらいいと思う。その子が好きなものを、今度は自分が好きじゃないかもしれない。
そうやって「あ、みんな好きなものが違うんだ、それが普通なんだ」と気づけるから。
こういう時、相手のことを全部わかろうとしなくていいと思うんです。
自分がドッジボールが大好きで、でも他の人に「嫌い」と言われたら悲しいかもしれないけど、必ずしもその相手の嫌いという気持ちをわかろうとしなくてもいい。
それと、なにかを好きって言えるのは、それを嫌いって言う人がいるからだと思っていて。光と影みたいに、「好き」があるから「嫌い」があるし、「キレイ」があるから「汚い」もある。
だから、自分を誰かの意見に合わせすぎる必要はないし、みんな違う考えを持つことが、多様性にあふれた素晴らしい世の中を作ると思っています。
取材・文/Questionary編集部
1962年大阪府生まれ。『くっすん大黒』でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、『きれぎれ』で芥川賞、『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、『権現の踊り子』で川端康成文学賞、『告白』で谷崎潤一郎賞、『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。また『ギケイキ』シリーズ、『男の愛』、『口訳 古事記』、『宇治拾遺物語』など、翻訳と創作の間を行き来する古典の現代語訳は、今も昔も変わらない人間の愛すべき馬鹿馬鹿しさ、どうしようもない人間らしさが詰まった、それぞれに心の底から笑えて、そしてときに喜怒哀楽を超越した感動を味わえる。
A
「おもろ不変の法則」で、自分がおもろければおもろいほど、相手は苦しい
例えば、音楽はみんなで大声で歌ったらわりとみんな一緒に楽しくなるけど、スポーツはそれが難しいんです。
なぜなら「勝ち負け」があるから。
買ったら楽しいけど、負けたら全然おもろない。
悔しいわけ、腹立ってくるわけ、負けたら。
「おもろ不変の法則」という法則があります。
例えば、勝った時の「おもろさ」を100とするじゃないですか。
試合の途中で「おもろさ」と「おもろなさ」が90と10になったり、80と20になったり、60と40になったりするんだけど、いざ試合が終わった時に、必ずそれが100と0になるんですよ。
買った方は「うわーっ!」ってなって100おもろくて、嬉しい。
でも、負けた方は0になって、ただ悔しい。
さらにスポーツの場合、得意・不得意というのがあって、どのスポーツも得意だとやっていておもろいんです。だからこの質問をしている君は、ドッチボールが得意なはず。だから自分は楽しい。一方で、不得意な子はやっていても苦しいだけなんですね。
逆に、例えば君が将棋がすごい下手やったとしたら、将棋をするのは苦痛なわけです。
だからスポーツだけでなく、勝負事、例えば囲碁、将棋、チェス、といった勝ち負けつくもんに関しては「おもろ不変の法則」で、自分がおもろければおもろいほど、相手は苦しいんです。
取材・文/Questionary編集部