
なんでぼくは体がよわいんだろう?(小1・男子)

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解剖学者
坂井建雄さん
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クライマー
平山ユージさん
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マサイ族・運転手
マイケル・エドワード・モレルさん
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サッカー元日本代表
中村憲剛さん
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株式会社りらいぶ代表取締役
佐々木貴史さん
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全盲ヨットマン
岩本光弘さん
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ミュージシャン
TOSHI-LOWさん
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ダンサー・振付師
TAKAHIROさん

東京大学医学部医学科卒業。現在は順天堂大学医学部解剖学教授。著書に『ぜんぶわかる人体解剖図』(共著、成美堂出版)『面白くて眠れなくなる解剖学』(PHP研究所)『骨と関節のしくみ・はたらき ゆるっと事典』『脳と神経のしくみ・はたらき ゆるっと事典』(永岡書店)『はたらく内臓』など。解剖学の教科書や図譜も多数手がける、人体のスペシャリスト。いちばん好きな臓器は腎臓。

A
変わりたいと思ったら変われるし、なりたい自分になれる
取材・文/Questionary編集部

1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/

A
悩みをとりあえず置いておくのも◎
僕の場合は、まわりに比べて体が大きいほうではありませんでした。陸上をやっていたんですが、中1のときは誰よりも速かったのに、みんなが体が大きくなってくるとどんどん抜かされて、「自分の成長期はいつ来るのかなあ」と、悩んだ時期も確かにありましたね。
でも、しょっちゅう考えていると疲れてしまうので、大人になった今もよくやっているのですが、悩みを「とりあえず置いておく」のをオススメします。
悩んでも今すぐに答えが出るわけじゃないし、やることがほかにあるし、ちょっと放っておいて、まずは好きなことやろう、みたいな感じです。ふっと思い浮かんだら考える、くらいで、いいんじゃないかと思っています。
取材・文/Questionary編集部

1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/

マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。

A
もっと自然の食べものを食べたらマサイのように体が丈夫になるかも
マサイは、工場で作られる加工品のたべものは一切食べないから、とっても健康なんだ。
取材・文/Questionary編集部

マサイ族、1982年タンザニアのアル―シャ生まれ。マサイ族とは、120あるタンザニアの民族のうちのひとつ。垂直に高く飛ぶ「マサイジャンプ」やライオンを狩ることで有名。色鮮やかな「シュカ」という赤い布を身に纏う。以前は遊牧民だったが、現在は観光ガイドをしたり、近隣の国に出稼ぎをしたり、遊牧民のライフスタイルは失われつつある。
マイケルは、4歳と12歳の子供2人と妻の4人でダルエスサラームに住む。出稼ぎのために12年前にマサイの村から都市に移住した。主に外国人たちの運転手の仕事をしながら、定期的に故郷の村に帰省している。本人は12人兄妹のひとり。過去には、サファリのガイドやキリマンジャロ登山のガイドの仕事もしてきた。十分な資金がたまったら村に帰り、大きな家を建てることが目下のゴール。

1980年10月31日生まれ。中央大学卒業後、2003年に川崎フロンターレに加入し、同年Jリーグ初出場。以降、現役生活18年をすべて川崎で過ごし、Jリーグ通算546試合出場83得点を記録。司令塔として3度のJ1優勝に貢献し、Jリーグベストイレブンに8度選出、2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表では68試合出場6得点。2010年南アフリカ・ワールドカップ出場。2020年に現役を引退。以降、川崎フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)やJFAロールモデルコーチ、解説業など、幅広い分野で活躍中。

A
僕も、体が小さくて弱かったから、「どうすれば戦えるか」を考え続けた
僕も、体が小さくて弱かったんです。
小学6年生のときの身長は136cm。
これは小学3、4年生の平均くらいでした。
中学校を卒業する頃でも154cmでした。高校入学時もそのまま154cm。もう破格の小ささです(笑)。
だから、サッカーをしていても、ボールを持つと簡単に吹っ飛ばされちゃう。
そこで僕が考えたのは、「ぶつからないようにすればいい」ということ。
例えば、体の大きさで負けてボールをとられるなら、そもそもボールを長く持たないようにすればいい。
そうやって、自分の体の弱さを受け入れて、その中で生きる術を見つけるようにしました。
すると、高校2年生になって、一気に身長が170cm近くまで伸びたんです。
一気に世界が広がりました。
それまでずっと「どうすれば戦えるか」を考え続けた時間があったからこそ、ただ体が大きくなっただけじゃなく、自分らしいプレーができるようになったんです。
取材・文/Questionary編集部

1961年福島県郡山市生まれ。幼少期から体力に自身が無く、就職後すぐに退職し、自営をしながら健康法を探求。コンピュータ会社経営を経て1999年に起業家へ転身。相続支援、営業コンサル、飲食、建築検査、浄水器輸入など多分野で事業を展開。55歳で「元気になる方法」を最後の仕事にしようと志し、リライブシャツの開発に至る。現在リライブウェアシリーズは累計販売枚数300万枚(集計期間:2019年7月1日〜2025年4月30日)を突破、リライブウェアを通じて世界の健康に貢献することを目指している。

A
弱さも自分の強さに変えることができる
僕は、人には誰でも「良いところ」と「悪いところ」の両方があって、実はその“悪いところ”の中にこそ、たくさんの才能が隠れていると思っています。
例えば、僕自身、小さい頃はとても虚弱体質で、よく熱を出しては寝込んでばかりいました。
体育の授業も頻繁に見学していたし、妹も同じように体が弱かったので、兄として支えたくても、自分自身が具合が悪くて何もできないこともありました。
虚弱体質って病気ではないから、病院に行ってもとくに診断はされず、まわりからは「ただサボってるだけ」と思われることもあって……。
そうした中で、子どもながらに「元気になりたい」「誰かの役に立ちたい」と強く願っていたんです。
それが、今の自分の原点だと思っています。
この経験があったからこそ、今では体調がすぐれない人や、疲れがなかなかとれない人の気持ちがよくわかります。
そして、経営者として仕事をしていると、当然、楽しいことばかりではなく、理不尽なことや納得できないこともたくさんあります。
でも、そういうときにも動じずにいられるのは、子どもの頃の経験が自分の中にちゃんと残っているからだと思うんです。
つまり、「悪いところ」も、見方や捉え方を変えれば、自分の強みに変えることができる。
だから、あまり「自分はかわいそうだ」と思いすぎず、かといって無理に前向きになろうとせず、「良いところも悪いところも、どっちも自分だよね」と、ニュートラルな気持ちで進んでいくことが、一番自然でいいんじゃないかなと思います。
取材・文/Questionary編集部

1961年福島県郡山市生まれ。幼少期から体力に自身が無く、就職後すぐに退職し、自営をしながら健康法を探求。コンピュータ会社経営を経て1999年に起業家へ転身。相続支援、営業コンサル、飲食、建築検査、浄水器輸入など多分野で事業を展開。55歳で「元気になる方法」を最後の仕事にしようと志し、リライブシャツの開発に至る。現在リライブウェアシリーズは累計販売枚数300万枚(集計期間:2019年7月1日〜2025年4月30日)を突破、リライブウェアを通じて世界の健康に貢献することを目指している。

アメリカ・サンディエゴ在住の全盲ヨットマン。13歳で視力を失いはじめ、16歳で全盲に。2013年、辛坊治郎氏と太平洋横断に挑戦するも達成ならず。2016年、50歳でハーフアイアンマン完走(サンディエゴ)。2019年、世界初のブラインドセーラーとして無寄港太平洋横断を達成。現在、NPO法人Global Arigato Project代表としても活動。2027年には単独で無寄港太平洋横断に挑戦予定。著書に『見えないからこそ見えた光 絶望を希望に変える生き方』。

A
強いとか弱いよりも、「生きていること」そのものがすごくありがたい
「弱い」というのは、何と比べてそう思うのか――そこが大事なんじゃないかな。
誰かと比べて自分が弱いと思っているのかもしれない。
でも、本当は強いとか弱いよりも、「生きていること」そのものがすごくありがたいことなんです。
息をしているだけでも、心臓が動いているだけでも「ありがとう」って思える。そう感じられたら、強いとか弱いっていう見え方も少し変わってくると思います。
ぼく自身、もともと体力に自信があったわけじゃありません。
トライアスロンを始めたのも、2013年のヨットでの太平洋横断でクジラにぶつかって失敗したとき、海が怖くなってしまって。
でも、もう一度ヨットに挑戦して、苦しんでいる人に勇気や元気を届けたい。そのためには、まず自分が海の怖さを乗りこえなきゃいけない――そう思ったんです。
だから、海と仲良くなるために泳ぎ始めました。
最初はサンディエゴ湾で、足に海水が触れただけで怖くて終わり。次はひざまで。それを少しずつくり返して、顔をつけられるようになり、泳げるようになっていきました。
「(ガイドの人に)横にいますか?」と何度も確認するほど怖かったけれど、続けるうちにだんだん気持ちが落ちついて、海の怖さもやわらいでいきました。
だからね、「自分は弱い」と思ったままで止まってしまうと、本当に弱くなってしまう。
でも、「弱い自分でも何かできるかもしれない」と思って、ちょっと目標を立ててやってみると、意外とできたりするんです。
そのくり返しの中で、「弱いと思ってたけど、案外ふつうかもしれない」「もしかしたら強いのかも」と思えるようになる時が来ると思います。
弱いと思っていてもいい。でも、そこに少しだけ勇気を足して、一歩踏み出してみること。それが、とても大事なんです。
取材・文/Questionary編集部

アメリカ・サンディエゴ在住の全盲ヨットマン。13歳で視力を失いはじめ、16歳で全盲に。2013年、辛坊治郎氏と太平洋横断に挑戦するも達成ならず。2016年、50歳でハーフアイアンマン完走(サンディエゴ)。2019年、世界初のブラインドセーラーとして無寄港太平洋横断を達成。現在、NPO法人Global Arigato Project代表としても活動。2027年には単独で無寄港太平洋横断に挑戦予定。著書に『見えないからこそ見えた光 絶望を希望に変える生き方』。

1974年、茨城県生まれ。1995年にBRAHMANを結成。2025年に活動30周年を迎え、7年ぶりの待望のニューアルバム『viraha』をリリース。またアコースティックバンドOAUのヴォーカル&ブズーキ、細美武士氏とのバンドthe LOW-ATUSとしても活躍。キャンプや自然体験をしながら音楽も楽しめるイベントNew Acoustic Camp(通称「ニューアコ」)およびその姉妹イベント ACO CHiLL CAMP(「あこちる」)のオーガナイザーも務める。NPO法人「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」代表。

A
弱さを感じられることこそ、本当の強さ
俺も子どものころは、体が弱かったよ。
もし「弱いのがいやだな」と思ったら、自分で強くなる工夫をしていくしかない。
ただ、「強さ」っていろいろあるよね。
体が元気で強い人もいれば、頭の良さを強さだと思う人もいる。
もしかしたら、ロボットの力を借りて強くなることだって、これからはできるかもしれない。
ひとつ言えるのは、「自分は弱いな」って思える人は、その弱さに気づいているからこそ、きっと変われるということ。
気づいているぶん、強くなれるチャスもたくさんある。
でも、「自分は強い」と思いこんでいる人は、自信がありすぎて、気づかないうちに失敗しまうこともある。
だから、弱さを感じられることこそ、本当の強さなんだと思う。
取材・文/Questionary編集部

東京都出身。2006年にヒップホップの殿堂として知られる全米放送公開オーディション番組「Showtime at the Apollo」にソロダンサーとして出場し、同番組史上最多となる9大会連続優勝を達成。米国でのプロデビューを果たし、マドンナワールドツアーの専属ダンサーとしてツアーに参加。2007年より日本でも活動を開始し、幅広く活躍。振付師としても、これまでに手がけた作品は200作を超える。現在は「それSnow Manにやらせて下さい」(TBS)の完コピダンス対決審査員をはじめ、解説者・教育者(DA TOKYO学校長/大阪芸術大学客員教授)としても活動している。新著に「『私なんて』と考えてしまうあなたも、絶対に前向きになれる40の言葉」(PHP研究所)。TAKAHIROさんならではのユニークな経歴と想像力に裏打ちされた言葉の数々は、まさにタイトルにあるとおり前向きな力をくれる力にあふれたものばかり。

A
あなたの中にある「弱さ」は、これから大切な力に変わっていく
それは、この世界に同じ人が一人もいないからです。クラスのみんなの顔を見ても、同じ顔の人は一人もいませんよね。世界に何十億人もいるのに、みんなそれぞれ違います。
体の強さも同じで、人それぞれ違うんです。そして、あなたが憧れている人にも、必ず苦手なことや弱いところがあります。それは体のことだけとは限りません。
僕自身も、すぐ忘れてしまうことがありますし、体もそんなに強くありませんでした。「小さい頃は耳が弱くて、気圧のタンクに入るような治療を受けていたこともあります。」
でも、その時間は、いろいろなことを考える時間になりました。耳が弱かったぶん、想像する力が強くなり、「もっと聞きたい」という気持ちも誰よりも強くなりました。そのおかげもあって、今は振り付けやダンスを考える仕事につながっています。
だから、あなたが「弱い」と思っているところには、誰かが憧れるような「強さ」を生み出す力が隠れています。
僕も最初はそれを弱点だと思っていましたが、その反対側に、自分の強みがありました。
人はそれぞれ違う力を持っています。炎のように燃える力を持つ人もいれば、水のようにやさしく広がる力を持つ人もいます。
もし「なんで自分は水なんだろう」と思ったとしても、水だからこそできることを見つけたとき、それは誰にもまねできない力になります。
世界で活躍している人たちも、最初から完璧だったわけではありません。たとえば、エジソンやアインシュタイン、ホーキング博士も、それぞれに悩みや弱さを持っていました。
だから、あなたの中にある「弱さ」は、これから大切な力に変わっていくものなんです。
取材・文/Questionary編集部

東京都出身。2006年にヒップホップの殿堂として知られる全米放送公開オーディション番組「Showtime at the Apollo」にソロダンサーとして出場し、同番組史上最多となる9大会連続優勝を達成。米国でのプロデビューを果たし、マドンナワールドツアーの専属ダンサーとしてツアーに参加。2007年より日本でも活動を開始し、幅広く活躍。振付師としても、これまでに手がけた作品は200作を超える。現在は「それSnow Manにやらせて下さい」(TBS)の完コピダンス対決審査員をはじめ、解説者・教育者(DA TOKYO学校長/大阪芸術大学客員教授)としても活動している。新著に「『私なんて』と考えてしまうあなたも、絶対に前向きになれる40の言葉」(PHP研究所)。TAKAHIROさんならではのユニークな経歴と想像力に裏打ちされた言葉の数々は、まさにタイトルにあるとおり前向きな力をくれる力にあふれたものばかり。












