INTERVIEW

INTERVIEW

When I was your age

「わたしが君の年だったころ」

プロフィール

木ノ戸昌幸

障害福祉施設『スウィング』代表

木ノ戸昌幸(キノトマサユキ)さん

1977年、愛媛県生まれ。立命館大学文学部卒。引きこもり支援NPO、演劇、遺跡発掘、福祉施設等の活動・職を経て、2006年、京都・上賀茂に障害福祉施設『スウィング』を設立。絵や詩やコラージュなどの芸術創作活動『オレたちひょうげん族』、全身ブルーの戦隊ヒーローに扮して行う清掃活動『ゴミコロリ』、ヘンタイ的な記憶力を駆使した京都人力交通案内『アナタの行き先、教えます』などの創造的実践を展開中。著書に『まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験』(朝日出版社)。

本当の自分とどんどん切り離されていった

小学校に入ってから、いろいろな人がいるのに、テストのようなひとつの基準で評価されることや、できない人がいるのに、「できるはずだ」が大前提で、できない人は置いてけぼり、できる人が評価される中で、自分のことを見失ってしまった人間でした。

自分は、たまたま「できる子」で、「きのとさんみたいになりなさい」と、小2のクラスではよく言われていました。褒められてると悪い気はしないし、、何かができるという感覚は嬉しいけど、本来の自分とどんどん切り離されていく感じがあった。そうして10歳頃から「あれおかしいな、なんか生きづらいな」と感じ始めたんです。大人になった今も、この違和感が自分の原点に強烈にありますね。

世間の常識や、均質化された世界から脱け出せたのは、20歳を過ぎたくらいです。
友だちみんながリクルートスーツを着て就職活動を始めるタイミングで、僕はそういう生き方にはっきりと決別をしました。その後、役者や舞台関係の人たち、遺跡発掘の日雇い労働で出会った人々が、世間の常識からことごとく外れていて、「こんなおかしな人たちがいるんだ」と安心しました。

さらに障害福祉の施設で働くことで、“障がい者”という均質化されてない人たちと出会って、日雇い労働の現場や舞台関係の人との場で感じた、「ここにもおかしな人がいる」という安心感があったんです。

この社会の真っ当な道に合わなかったからそこにいた人たちで、自分自身もそういう自覚があったので、生きてきた過程は全然違うんですけど、自分の中には仲間意識が生まれていました。

今も、「こうあるべき」とか「まともな姿」みたいなものに接するとものすごいストレスを感じます。

この世の中を生きていくには、もちろん「強さ」も必要です。ただ、その裏側には必ず「弱さ」があります。勉強や仕事ができないとダメなのか。人づきあいがうまくできないと負け組なんだろうか。そこに目を向けない社会は、息苦しいし、生きづらい。

テレビをつければ、一度の失敗を犯してしまった人への大バッシングがしつこく流れています。でも、「失敗は許されない」なんて大いなる間違いで、人間は失敗するようにできています。だから、「よっしゃ、今から失敗するぜ!」「よ!ナイス失敗!」といった寛容さや余白を、目の前の景色の中に増やせていけたらと思うんです。
もう腐るほどルールは用意されているし、みんな十分にがんばっているんだから。

『スウィング』では、とるに足らないことも発言できる、自由な雰囲気をとても大事にしています。だから、利用者のみんなもどうでもいいことを言おうと思う。それは目の前の人を大事にしていくということにもつながるし、これからも『スウィング』という集団として、今一番しんどい、苦しんでいそうな人に照準を合わせて、その人がどうしたら楽になれるか、そういうあり方を保っていきたいと思っています。

取材・文/Questionary編集部

INTERVIEW / 2023.12.11

  • わたしが君の年だったころ

プロフィール

木ノ戸昌幸

障害福祉施設『スウィング』代表

木ノ戸昌幸(キノトマサユキ)さん

1977年、愛媛県生まれ。立命館大学文学部卒。引きこもり支援NPO、演劇、遺跡発掘、福祉施設等の活動・職を経て、2006年、京都・上賀茂に障害福祉施設『スウィング』を設立。絵や詩やコラージュなどの芸術創作活動『オレたちひょうげん族』、全身ブルーの戦隊ヒーローに扮して行う清掃活動『ゴミコロリ』、ヘンタイ的な記憶力を駆使した京都人力交通案内『アナタの行き先、教えます』などの創造的実践を展開中。著書に『まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験』(朝日出版社)。

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