「旅や冒険が好きだった」
5歳上の姉が使っていた高校の地図をもらって、それをランドセルに入れて小学校に持っていき、よく眺めていました。その地図を持って、友だちを誘って色々な場所に行っていたので、旅や冒険みたいなものは、好きだったんだと思います。
15歳ではじめて日和田山(埼玉県)で岩登りをした時のことは忘れられません。素手で10メートルの岩場を登り切れたことが楽しくて、1日で7〜8本登りました。どうしても登れないコースがあって、うまくなりたいと思って、帰りの電車の中で懸垂しながら帰ったくらいです。
当時はロッククライミングの認知度も低く、登山はオッケーでも、岩登りは禁止されていたりして、父にも「危ないから」と最初は反対されて。これはこっそりやるしかないなあと思い、夜な夜な江戸城の壁を登ったりもしていましたね。
父は金属加工場を経営していました。朝から晩まで機械に向かってああでもないこうでもないとやっていて、モノを作って売って、そんな父の姿を間近で見て、仕事ってそういうものだと思っていました。
高校のとき、当時のハンガー(岩の中に埋め込み、ロープを通す器具)が高くて買えず、自分が図面を書いて父に相談したところ、そのオリジナルのハンガーを快く作ってくれました。そのおかげで僕は、18歳から20歳過ぎまで国内にかなりのルートを開拓できたんです。このハンガーは、今までに数万枚以上がクライミング界に行き渡っていて、実は父は日本のクライミング界の影の功労者なんだなあと。
父との思い出をもうひとつ挙げると、自分は19歳で当時世界最難関と言われていたルートを踏破し、20歳でプロクライマーになる決意をしたのですが、学校に退学届を出したその日、「世界一のプロを目指してがんばります」と紙に書いて、自分に言い聞かせる意味も込めて部屋の壁に貼りました。
それから3、4年後の1998年のワールドカップ総合優勝(日本人初、2000年には2度目のワールドカップ総合優勝)して帰ってきたときくらいだったかな、父が壁に貼ってあったその紙を額に入れていたんです。
「大事にしてくれているんだな」と、嬉しかったですね。
クライマーになったのは、実は揺るぎない何かがあったわけではないんです。
20歳のとき、自分はこれが一番興味があるし、これしかないかなあと、ヤマをはった感じというか。だから、今でもクライマーじゃなくてもよかったと思っています。
じゃあなにが人生の目的なのかというと、この地球のしくみの中で、なにかを発見し、理解し、そうして“進化・成長”をしていくこと。それが今、僕らがここにいる理由だと思っているし、長い時間考えて自分なりに出した答えなんです。