6歳くらいになると、たとえば時間をかけておもちゃをくみ立てられたり、パズルができあがったりしたとき、すごくうれしいでしょ。
今も畑で虫たちを見ていると、虫同士がお互い食べたり食べられたりしてるわけですよ。
なんで感動するの?(6歳・男子)
『奇跡のリンゴ』農家
木村秋則さん
登山家
渡邊直子さん
『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』著者
DJ・HAGGYさん
宇宙飛行士
山崎直子さん
サイエンス作家・YESインターナショナルスクール校長
竹内薫さん
解剖学者
養老孟司さん
作家
町田康さん
漫画家
柴門ふみさん
作家、画家、音楽家、建築家
坂口恭平さん
『私は93歳の新聞記者』著者
涌井友子さん
猟師
黒田未来雄さん
芸人
千原せいじさん
1949年、青森県中津軽郡岩木町で農家の次男坊として生まれる。木村さんのリンゴの無農薬栽培への挑戦と成功を記録した本『奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』が大ヒットし、以降世界中からたくさんの人々が木村さんの知恵を借りるため、木村さんの元を訪れる。今も変わらず自然の中で畑仕事に精を出す日々。
A
長い時間をかけてなにかを発見したとき
6歳くらいになると、たとえば時間をかけておもちゃをくみ立てられたり、パズルができあがったりしたとき、すごくうれしいでしょ。
今も畑で虫たちを見ていると、虫同士がお互い食べたり食べられたりしてるわけですよ。
取材・文/Questionary編集部
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。現在は看護師として働きながら、ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈)に14座ある標高8000m超の山々に挑む。現在13座に登頂すみで、あと1座(シシャパンマ)を登ると日本人女性初の全座制覇の偉業となるが、「それは通過点。子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と語る。
A
自分が知らないことを知ったとき
取材・文/Questionary編集部
DJ・HAGGY(本名:萩原浩一/はぎわらひろかず) ラジオDJ・教師
湘南出身・在住。物心ついた頃から親と離れて暮らす。小学校5年生の頃、京都で入院した病院でラジオの魅力に目覚め、ラジオDJになる夢を抱く。高校卒業後、厚生事務官として厚生省精神科神経科療養所や国立小児病院で働きながら、大学にも通う。卒業後はご縁あって教師(公立中学校、私立中学校高等学校、学習塾&予備校勤務)の道へ。平成8年4月28日、レディオ湘南にてDJ・HAGGYとしてスタートした朝の番組は、24年間、6000回以上の放送回数を重ね、土日以外は朝3時起きの生活を続ける。現在もお世話になった地元への恩返しの気持ちを込めて、数多くの親善大使やアンバサダーを務めている。また、多摩大学湘南キャンパス・グローバルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科と、目白大学新宿キャンパス・メディア学部メディア学科の非常勤講師も務める。著書に『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』(文芸社)。HP:https://www.djhaggy.com
A
自分が思ってもみなかったことが、目の前に現れたから
取材・文/Questionary編集部
DJ・HAGGY(本名:萩原浩一/はぎわらひろかず) ラジオDJ・教師
湘南出身・在住。物心ついた頃から親と離れて暮らす。小学校5年生の頃、京都で入院した病院でラジオの魅力に目覚め、ラジオDJになる夢を抱く。高校卒業後、厚生事務官として厚生省精神科神経科療養所や国立小児病院で働きながら、大学にも通う。卒業後はご縁あって教師(公立中学校、私立中学校高等学校、学習塾&予備校勤務)の道へ。平成8年4月28日、レディオ湘南にてDJ・HAGGYとしてスタートした朝の番組は、24年間、6000回以上の放送回数を重ね、土日以外は朝3時起きの生活を続ける。現在もお世話になった地元への恩返しの気持ちを込めて、数多くの親善大使やアンバサダーを務めている。また、多摩大学湘南キャンパス・グローバルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科と、目白大学新宿キャンパス・メディア学部メディア学科の非常勤講師も務める。著書に『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』(文芸社)。HP:https://www.djhaggy.com
1970年千葉県松戸市生まれ。東京大学工学部航空学科卒業。1996年、同大学航空宇宙工学専攻修士課程修了。1999年、宇宙飛行士候補者に選抜され、2001年、宇宙飛行士となる。2010年、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)の組立・補給ミッションに参加し、15日間宇宙に滞在。物資移送作業全体の取りまとめや、ISSのロボットアームの操作などを担当。現在は一般社団法人Space Port Japan代表理事や公益財団法人 日本宇宙少年団の理事長として、宇宙の魅力を伝え続ける。著書に『宇宙飛行士は見た 宇宙に行ったらこうだった!』(リピックブック)『夢をつなぐ』(角川文庫)など。
A
人間が心を持っているからだと思います
感動する=心が動くということなので、人間が心を持っているからだと思います。
何に感動するかは人それぞれだけど、いろいろなことに感動できる心って、
素敵ですよね。
心が動くことで何かに対してもっとがんばろうと思えたり、もっと知りたいと思えたりする。
だから人間は、感動することによって好奇心が高まっていろいろなことを理解して、そうやって今まで文明を発展させてきたんじゃないかと思うんです。
私も子どもの頃、「星にもいろいろな個性があって、同時に寿命がある」ことを知ったときは、感動しました。
星は年月を重ねていくと温度が下がって赤っぽくなったり、爆発してブラックホールになったり、そのまま小さくなったり、爆発してかけらをまわりに散らかしてそこからまた新たに生まれ変わったりします。
星にもそうした一生があるというのが素敵だなあと思ったのを、よく覚えています。
もちろん宇宙にはじめて行ったときも、びっくりしたと同時に感動しました。
無重力状態になって体がフワっと浮いたとき、「懐かしい」と思ったんです。
母の胎内にいた頃の記憶を、思い出したのかもしれません。
取材・文/Questionary編集部
1970年千葉県松戸市生まれ。東京大学工学部航空学科卒業。1996年、同大学航空宇宙工学専攻修士課程修了。1999年、宇宙飛行士候補者に選抜され、2001年、宇宙飛行士となる。2010年、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)の組立・補給ミッションに参加し、15日間宇宙に滞在。物資移送作業全体の取りまとめや、ISSのロボットアームの操作などを担当。現在は一般社団法人Space Port Japan代表理事や公益財団法人 日本宇宙少年団の理事長として、宇宙の魅力を伝え続ける。著書に『宇宙飛行士は見た 宇宙に行ったらこうだった!』(リピックブック)『夢をつなぐ』(角川文庫)など。
サイエンス作家、YESインターナショナルスクール校長。東京大学教養学部、同理学部を卒業。 カナダ・マギル大学大学院博士課程修了(高エネルギー物理学専攻)。2014年8月にYESインターナショナルスクールを開校。著書に『(伝記絵本)カタリン•カリコの物語』(西村書店)、『誰かに教えたくなる宇宙のひみつ』(徳間書店)『僕たちはいつ宇宙に行けるのか』(山崎直子共著、青春出版社)など多数。 X:@7takeuchi7
A
人間は心を持っているんです
例えばAI(人工知能)は、将棋の名人に勝てるかもしれないし、自動運転もできるかもしれないけど、感動はできないですよね。
どうしてかというと、心を持っていないから。
人間は心を持っているんです。「心がある」ということは、自分に気づいているということです。「自意識」とも言いますよね。
自分に気がついている、つまり心があるから、感動できるんです。
取材・文/Questionary編集部
1937年11月11日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。日本の医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。2003年に出版された『バカの壁』は450万部を突破。著書『ものをわかるということ』(祥伝社)は、体がおざなりにされた昨今の勉強における「身につける」という言葉の真意や、子どもたちがぶつかるであろうさまざまな壁との向き合い方が綴られた、これからの予測不可能な時代をサバイヴするために必携の一冊。
A
感動することよりも気分を良くすること
感動というのは、短い時間に強く出る「気分」の一部です。
気分と言うとなんだか軽く聞こえるけど、でも結構大事ですよ。「なんか気分が悪いなあ」と言っていると、「生きていておもしろくない」という感じにもつながるので。
だから、感動することよりも気分を良くすることが、日常では大切なんだと思います。
取材・文/Questionary編集部
1962年大阪府生まれ。『くっすん大黒』でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、『きれぎれ』で芥川賞、『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、『権現の踊り子』で川端康成文学賞、『告白』で谷崎潤一郎賞、『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。また『ギケイキ』シリーズ、『男の愛』、『口訳 古事記』、『宇治拾遺物語』など、翻訳と創作の間を行き来する古典の現代語訳は、今も昔も変わらない人間の愛すべき馬鹿馬鹿しさ、どうしようもない人間らしさが詰まった、それぞれに心の底から笑えて、そしてときに喜怒哀楽を超越した感動を味わえる。
A
感動って、たぶん「混乱」
そもそも喜怒哀楽には、理由があるんです。
お小遣いをもらったから嬉しいとか、友だちと一緒に遊んだから楽しいとか、家族に何か言われたから怒るとか、好きな人に振り向いてもらえなくて悲しいとか、「〜だから」という理由がある。
でも感動というのは、理由がわからないんです。
自分の頭の中で、悲しみも喜びも、ぐっちゃぐちゃになってるんですよ。だから、説明がつかない。
だから感動って、たぶん「混乱」なんですよね。
例えば、嬉しくて涙が出るっていうのもその嬉しさがきわまったときで、悲しみと区別のつかないようなエネルギーがただ渦巻いている、訳わからん状態なんです。
取材・文/Questionary編集部
1957年生まれ。1979年漫画家デビュー。『P.S. 元気です、俊平』で、『第7回講談社漫画賞』一般部門を受賞。『家族の食卓』『あすなろ白書』で、『第37回小学館漫画賞』青年一般部門を受賞。『東京ラブストーリー』『恋する母たち』などヒット作品多数。エッセイに『おとなのたしなみ』『老いては夫を従え』など。
A
喜怒哀楽が、なにかの刺激でウワーっと揺れ動く
心が揺れるんでしょうね。
人間には喜怒哀楽があって、「うれしい、腹がたつ、悲しい、楽しい」の基本この4つの感情と言われていますが、いつも同じぐらいの分量で体の中にあります。
その喜怒哀楽のどれかひとつが、なにかの刺激でウワーっと揺れ動くんですよ。
そして、ときにはひとつだけではなくて、例えば怒と哀、喜と楽など、ふたつがくっついて生まれる感動もあります。
大人になって気づいたのですが、例えば、楽しいときでも心のどこかに「悲しい」が潜んでいたり、悲しいときでもふとしたことで笑ってしまったりします。
だから、喜怒哀楽の4つの気持ちは必ず心の中にあって、心はそれが複雑に組み合わさってできているんだな、と思います。
取材・文/Questionary編集部
1978年熊本県生まれ。2004年に路上生活者の家を収めた写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。著作に『独立国家のつくりかた』『苦しい時は電話して』『モバイルハウス 三万円で家をつくる』、『躁鬱大学』、『お金の学校』『土になる』や、小説『幻年時代』、『徘徊タクシー』、『けものになること』、ほか画集、料理書など多数。
躁鬱病であることを公言し、2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービス「いのっちの電話」を自身の携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2023年2月に熊本市現代美術館にて個展「坂口恭平日記」を開催。新著『生きのびるための事務』は、自分自身と向き合い、喜びだけでなく苦しい体験も含めて面白がり、新たな自分を発見していくことの喜びにあふれた一冊。
A
感動するという気持ちは命がけで守ってほしい
同じものを見て、同じ人が同じだけ感動するわけではありません。
しかも感動する瞬間は、そんなにたくさん起きない。
だから、自分が感動したことはちゃんとメモしておいてほしいぐらい、もう絶対に覚えておいてほしい。
なぜなら、それが君の好きなこと、君にとっての宝物を見つけるための情報源になるから。
もっと言うと、『This is wave』的な感じなんです。感動は、波のように自分にとって大事なことがやってきた! というサインなんです。
もしそれが来たら、人に言わなくていいです。なぜなら、人はみんな違うから。
自分が「これに感動した!」と相手に言っても、「何やってんの?」と言われてしまっては、一気にその気持ちがつぶれてしまう。
ここはひとつ、黙って感動しましょう。ひとりでじっくり味わおう。
大事に秘密にしておいて、自分だけで掘り下げていこう。
そして、親や身近な人である必要はなくて、本当に自分のことをわかってくれそうだと思う人にその気持ちを吐き出そう。
学校は、これからどんどん勉強しなきゃいけないムードになっていくし、他の子と一緒のことをしなきゃいけないときもたくさんある。そんな中で、自分が好きなものをポンポン捨てていってしまうと、次に来る感動の波をつかめなくなります。
もうね、自分をハンターだと思ってほしいんです。好きなことだけを待ち構えて、息をひそめて感動すること。
君たちにとって、なにかにはじめて感動するという気持ちは本当に大事なので、その気持ちを大自然、いや、天然記念物だと思って、自分は飼育員、レンジャー部隊だと思って、命がけで守ってほしいと思います。
取材・文/Questionary編集部
1978年熊本県生まれ。2004年に路上生活者の家を収めた写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。著作に『独立国家のつくりかた』『苦しい時は電話して』『モバイルハウス 三万円で家をつくる』、『躁鬱大学』、『お金の学校』『土になる』や、小説『幻年時代』、『徘徊タクシー』、『けものになること』、ほか画集、料理書など多数。
躁鬱病であることを公言し、2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービス「いのっちの電話」を自身の携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2023年2月に熊本市現代美術館にて個展「坂口恭平日記」を開催。新著『生きのびるための事務』は、自分自身と向き合い、喜びだけでなく苦しい体験も含めて面白がり、新たな自分を発見していくことの喜びにあふれた一冊。
1931年、静岡県生まれ。終戦後、鉄道会社での勤務を経て、1958年に結婚。1974年に夫婦で中野区の地域新聞『週刊とうきょう』を創刊。1982年に夫が他界後も発行し続けている。ボランティア団体『夢のかけ橋』に所属し、地域の子どもたちを見守りながら世代間の交流も深める。2024年に『週刊とうきょう』は創刊50周年を迎えた。著書に『私は93歳の新聞記者』(草思社)。
A
新聞記者を50年近くやっていますが、「感動する瞬間」というのはそれほど多くありません
音楽を聴いたとき、映画を観たとき、物語を読んだとき、心が揺さぶられて、すごいなあと思ったとき感動するんじゃないでしょうか。
私は『週刊とうきょう』の新聞記者を50年近くやっていますが、「感動する瞬間」というのはそれほど多くありません。
夫が亡くなったあと、きっと多くの人が「もう『週刊とうきょう』は続かないだろう」と思ったことでしょう。
でも、私には残された4人の子どもを育てる責任がありました。
当時、私は50歳。一番上の子は成人していましたが、3番目の子が中学生、いちばん下の子が小学校に上がったばっかりでした。
そんな状況で、泣いている暇なんてなかったし、寂しいなんて言っていられませんでした。
何より、子どもたちを食べさせなければならない。だから「やるしかない」と、ただひたすら前を見るしかなかったのです。
でも、取材、撮影、執筆、編集、校正をすべてひとりでやらなくてはいけません。
それ以外にも、集金や広告取り、経理などの事務作業、新聞の郵送準備もあります。
不安しかありませんでした。夫の友人をはじめ、たくさんの人に助けてもらいました。
とにかく毎日必死で、数年が経って徐々に慣れてきたとき、やっと「あれ? 私、この仕事がすごく好きかもしれない」と思えるようになりました。
今はね、子どもたちに迷惑かけないように、怪我しないように、寝込まないように、と思っています。
新聞記者という仕事を続けられているというのは、本当に幸せなことです。
行くところがあって、話す相手がいる。
大変な時期もあったけれども、全部なかったことにして(笑)、今はもう幸せだなあって。
なにしろね、性格がのんきなんですよ。
のんきで救われているっていうのはあります
取材・文/Questionary編集部
1931年、静岡県生まれ。終戦後、鉄道会社での勤務を経て、1958年に結婚。1974年に夫婦で中野区の地域新聞『週刊とうきょう』を創刊。1982年に夫が他界後も発行し続けている。ボランティア団体『夢のかけ橋』に所属し、地域の子どもたちを見守りながら世代間の交流も深める。2024年に『週刊とうきょう』は創刊50周年を迎えた。著書に『私は93歳の新聞記者』(草思社)。
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。
A
おいしいご飯を食べたときみたいに、心がおいしいって思うから
「感動」って、おいしいごはんを食べたら「うまい!」ってなるみたいに、心がおいしいって思うときのことだと思います。
僕がなぜ狩猟をしているかというと、野生動物に対するものすごい尊敬と憧れがあるんですよね。
なんであんなに強くて美しいんだろうって、いつも思う。
それはもう、小さな虫けらひとつに対しても同じです。
毎日ご飯が食べられるかもわからない、すごくシビアな状況に放り出されて生きているわけじゃないですか。
その強さや美しさは、自分にはないなぁって。
その美しさの理由は、もちろん身体的にシェイプアップされている外見的なものだけでなく、なにかひとつ間違いがあったら死んでしまうという、常に命がけで生きている“覚悟”のようなものから生まれるものだと思うんです。
僕も、そこに少しでも近づきたい。
例えば、僕が「あのルートを通って、ここに来るんじゃないかな」と思って先回りしたら、そこに鹿が出てきたりする。
それは、ハンターとして作戦勝ちという言い方もできるけれども、鹿の気持ちになれた瞬間でもあるわけです。
そのふたつの喜びが同時に味わえる。
それはめちゃめちゃ嬉しいし、感動ものです。
取材・文/Questionary編集部
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。
1970年1月25日生まれ、京都府出身。1989年に弟である千原ジュニアとコンビ「千原兄弟」を結成。テレビ番組等の企画等でこれまでに70ヵ国以上を訪問し、卓越したコミュニケーション力が話題となる。2018年にメンタルケアカウンセラーの資格を取得。2021年、貧困・就学困難への支援や国際協力の推進等を主な事業とする一般社団法人ギブアウェイを設立、代表理事となる。また、2024年5月に天台宗の僧侶「千原靖賢和尚」となり、動物専門の供養に携わる。著書に『がさつ力』(小学館)、『プロに訊いたら驚いた! ニッポンどうなん?』(ヨシモトブックス)がある。
A
自分が幸せになるためのガソリンなんじゃないかな
自分が幸せになるためのガソリンなんじゃないかな?
さっきの勉強の話じゃないですけど、いろいろな勉強をして、いろいろな映画を観て、本や漫画を読んでものを知っていけば、感動することがいっぱい増えていくよ。
僕の場合、大人になった今でも「まだあったか」という感じで、日々感動しています。
食事だったり、人の優しさや気遣いだったり、まだまだ感動することがたくさんある。いや、年をとってからのほうが、ひょっとしたら感動することは多いかもしれない。
それは、僕が新しいことを知りたかったり新しい場所に行きたがったり、好奇心で動いているからだと思います。
例えば、明日から北海道の五稜郭に桜を見に行くんですが、桜なんて見上げるばっかりやったけど、五稜郭は段々になっているので、桜を見下げるんですよね。
だから角度によっては、自分が桜の上を歩いているかのように見えるわけです。感動しますよね。
こんなふうに、どんな小さいことでも、感動がたくさんあると人生楽しいですよ。
それに、感動した話はみんな喜んで聞いてくれるし、どこかまわりを幸せな気持ちにするから。
取材・文/Questionary編集部
1970年1月25日生まれ、京都府出身。1989年に弟である千原ジュニアとコンビ「千原兄弟」を結成。テレビ番組等の企画等でこれまでに70ヵ国以上を訪問し、卓越したコミュニケーション力が話題となる。2018年にメンタルケアカウンセラーの資格を取得。2021年、貧困・就学困難への支援や国際協力の推進等を主な事業とする一般社団法人ギブアウェイを設立、代表理事となる。また、2024年5月に天台宗の僧侶「千原靖賢和尚」となり、動物専門の供養に携わる。著書に『がさつ力』(小学館)、『プロに訊いたら驚いた! ニッポンどうなん?』(ヨシモトブックス)がある。