人はそれぞれ「すきなこと」「とくいなこと」「にがてなこと」がちがっていて、それがきみらしさ、つまり「こせい」なんです。
じぶんのこせいを知るには、まず「じぶんは何がすきで、何がにがてなのか」を分けていくことがたいせつ。
そして、できるだけ「すきなこと」「とくいなこと」の中で生きていけたら、それがいちばんしあわせですよね。
じつは、ざっそうも人と同じです。どこにでも生えているように見えるけれど、本当は「じぶんのとくいなばしょ」にしか生えません。
また、ざっそうはよく「つよいしょくぶつ」と言われますが、本当はとてもよわいしょくぶつなんです。ほかの草とのきょうそうにはかてないから、ほかのしょくぶつが生えられないようなすきまを見つけて生きています。
たとえば、人にふまれる道ばたの草は「ふまれるのがとくいな草」。
もちろん、ふまれるのはイヤかもしれません。でも、そのばしょには大きなしょくぶつがいないから、小さな草にとっては光も風もとどく。ふまれることさえがまんできれば、ライバルがいないぶんのびのび生きられるから、「気もちのいいばしょ」なんです。
しぜんのせかいはきびしいから、あわないばしょでがんばろうとしても生きのこれません。人もそれと同じで、「にがてなことをがんばってなおす」より、「とくいなことをのばす」ほうがずっとしぜんです。
だから、いろんなことをけいけんして、「これはすき」「これはちょっとにがて」と分けていく。そうすれば、きっと本当にじぶんに合ったばしょが見えてきます。













