INTERVIEW

INTERVIEW

When I was your age

「わたしが君の年だったころ」

プロフィール

坂口恭平

作家、画家、音楽家、建築家

坂口恭平(サカグチキョウヘイ)さん

1978年熊本県生まれ。2004年に路上生活者の家を収めた写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。著作に『独立国家のつくりかた』『苦しい時は電話して』『モバイルハウス 三万円で家をつくる』、『躁鬱大学』、『お金の学校』『土になる』や、小説『幻年時代』、『徘徊タクシー』、『けものになること』、ほか画集、料理書など多数。
躁鬱病であることを公言し、2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービス「いのっちの電話」を自身の携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2023年2月に熊本市現代美術館にて個展「坂口恭平日記」を開催。新著『生きのびるための事務』は、自分自身と向き合い、喜びだけでなく苦しい体験も含めて面白がり、新たな自分を発見していくことの喜びにあふれた一冊。

人生は楽しむ以外ない、心の底から肯定していい

小さい頃は、いろいろなことを思いついてはすぐ興奮するような子どもで、親にはやることなすこと「思いつくまま動くな」とおさえこまれていました。

 

でも、紙の上では自分のやりたいことがなんでもできました。だから、紙と鉛筆をどこにでも持っていって、紙の上で高層マンションを描いたり、欲しいゲームを買ってもらえなかったらそのゲームを紙の上で描いてやったりしていました。

 

その頃すでに気づいていたんですが、大人は、自分がそれを経験していたら子どもにできないとは言わないんです。逆に、経験していない大人には、「そんなのやっても無駄だよ」みたいに、強く否定されることが多かった。

 

だから、「やったことがある大人を見つけよう」と思いました。

 

とくに僕の場合、母親からの締めつけが強くて、基本的には全否定されていました。作家としてもう本も何冊か出しているのに、40歳になるまで医者になれと言われていたくらいです。

 

だけど、母親になにか否定的なことを言われても、右から左へ受け流していたからまったく傷つきませんでした。むしろ、「言ってくれてありがとう」と感謝するふりをしていました。

 

自分が好きなことをやるのがいちばん大事だから、そのためにはそこで母親ともめたらろくなことにならないし、やりたいことをひとりで静かにやっていたという感じでした。

 

そんなふうに、決して自由を与えられて育ったわけではないけど、今思い返すと、僕はなぜか少年のときからそういう切り抜け方みたいなものを知っていたんです。それは、誰も教えてくれなかったら、自分を守るために、自分で学んでいたんだと思います。

 

それが本当の「自己との対話」です。
自己との対話を身につければ、永遠に人生を肯定し続けられます。

 

だから、ときどきは自分の胸に手を当てて、なにが自分にとっていちばん面白いか、人生の目的はなんなのか、なにをしたら心の底から笑えるのかを確認してほしい。

 

人生は、楽しむ以外にないんです。心の底から肯定していいものなんです。

 

それを忘れないでほしい。

取材・文/Questionary編集部

INTERVIEW / 2024.11.19

プロフィール

坂口恭平

作家、画家、音楽家、建築家

坂口恭平(サカグチキョウヘイ)さん

1978年熊本県生まれ。2004年に路上生活者の家を収めた写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。著作に『独立国家のつくりかた』『苦しい時は電話して』『モバイルハウス 三万円で家をつくる』、『躁鬱大学』、『お金の学校』『土になる』や、小説『幻年時代』、『徘徊タクシー』、『けものになること』、ほか画集、料理書など多数。
躁鬱病であることを公言し、2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービス「いのっちの電話」を自身の携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2023年2月に熊本市現代美術館にて個展「坂口恭平日記」を開催。新著『生きのびるための事務』は、自分自身と向き合い、喜びだけでなく苦しい体験も含めて面白がり、新たな自分を発見していくことの喜びにあふれた一冊。

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