「human (ヒューマン)=人間」の「ヒュー」は「hue(ヒュー)=色」から、「マン」は「manifestation(表明)」からきている説があると聞いて。
つまり、「人間」は色を表す、という意味なんだ。
だから、「色々」な人がいる、と言うよね。
つまり人間は、なんでも表現できる。
そもそも、生きること自体がもうマジックなんだよ。
「人間」の意味を知ったら、なにかを表現したり、創造したりしたくなってこない?
それが生きるモチベーションになるんだと思う。
どうして私は生きているの?(8歳・女子)

ミュージシャン
Shen (Def Tech)さん
ドキュメンタリー監督
山崎エマさん
詩人
伊藤比呂美さん
お笑い芸人
ゴルゴ松本さん
猟師
黒田未来雄さん
芸人
千原せいじさん
株式会社りらいぶ代表取締役
佐々木貴史さん
空也5代目社長
山口彦之さん
全盲ヨットマン
岩本光弘さん
ミュージシャン
TOSHI-LOWさん
映画監督
是枝裕和さん
ラッパー
般若さん
ITエヴァンジェリスト
若宮正子さん
看護師・日本赤十字看護大学名誉教授
川嶋みどりさん
画家
中島庄蔵さん

透明な歌声、心地よいメロディ、深い歌詞、才能豊かなパフォーマンス。
彼の音楽は美と哲学が融合し、DJとウクレレという独特の演奏スタイルは心地よいアイランドミュージックとして、オーディエンスの心を惹きつける。2008年Sony Music Associated Records よりオリジナルアルバム「SOLAIRO」をリリース。
近年は、ソロ活動の他に、様々なアーティストともコラボ活動も積極的に行っている。
2024年5月にはデジタルニューシングル「Cruz Li Dat」をリリース。
Def Tech としては"My Way"を含むファーストアルバム『Def Tech』を2005年に発売し280万枚超のセールスを記録した。2024年にはNulbarichのJQプロデュースによるデジタルニューシングル「FANTASY」をリリースし、現在はWhat The Frequency Tour を全国で開催中。

A
人間は、なんでも表現できる。
「human (ヒューマン)=人間」の「ヒュー」は「hue(ヒュー)=色」から、「マン」は「manifestation(表明)」からきている説があると聞いて。
つまり、「人間」は色を表す、という意味なんだ。
だから、「色々」な人がいる、と言うよね。
つまり人間は、なんでも表現できる。
そもそも、生きること自体がもうマジックなんだよ。
「人間」の意味を知ったら、なにかを表現したり、創造したりしたくなってこない?
それが生きるモチベーションになるんだと思う。
取材・文/Questionary編集部

透明な歌声、心地よいメロディ、深い歌詞、才能豊かなパフォーマンス。
彼の音楽は美と哲学が融合し、DJとウクレレという独特の演奏スタイルは心地よいアイランドミュージックとして、オーディエンスの心を惹きつける。2008年Sony Music Associated Records よりオリジナルアルバム「SOLAIRO」をリリース。
近年は、ソロ活動の他に、様々なアーティストともコラボ活動も積極的に行っている。
2024年5月にはデジタルニューシングル「Cruz Li Dat」をリリース。
Def Tech としては"My Way"を含むファーストアルバム『Def Tech』を2005年に発売し280万枚超のセールスを記録した。2024年にはNulbarichのJQプロデュースによるデジタルニューシングル「FANTASY」をリリースし、現在はWhat The Frequency Tour を全国で開催中。

神戸生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。大阪の小学校に通い、神戸のインターナショナルスクールを卒業後に渡米。ニューヨーク大学映画制作学部で映画を学ぶ。代表作に『モンキービジネス: おさるのジョージ著者の大冒険』(2017年ロサンゼルス映画祭でワールドプレミア。日本で2018年劇場公開)『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(2019年にアメリカ最高峰のドキュメンタリー映画祭DOC NYCでワールドプレミア。2020年米スポーツチャンネルESPNで放送、日本で劇場公開)。現在公開中の『小学校〜それは小さな社会〜』の舞台は、世田谷区立塚戸小学校。生徒たちの1年間の様子を撮影し、日本の学校ならではの習慣をナチュラルにとらえた映像は、フィンランドやドイツなどでもロングランヒットを記録している。小学校教育で「日本人」がつくられることがよくわかる作品。

A
あなたにしかできないことがあるから。
それは、あなたが換えが効かない存在だから。
あなたにしかできないことがあるから。
私は、お父さんがイギリス人、お母さんが日本人のハーフです。大阪の公立の小学校に通っていたのですが、それで目立っていたからか1、2年生のときはいじめられたり、自分の中では英語が話せることを弱みに感じたりして、「まわりのみんなと同じようになりたい」とずっと思っていました。
でも、3年生からは自分が目立つことをプラスに考えて、放送委員、合唱の指揮者、応援団、生徒会長など進んでやるようになりました。自分が声をかけて、みんなが集まってくれて、一緒にがんばる楽しさ。そのときに見た景色、経験が、今の自分のルーツになっています。
そして、小学校5年生のときにイチローさんの本を読んで、イチローさんにとっての野球のように、自分にとって本当に好きなことを探そうと決めました。
ただ、小学校の卒業文集には、「まだ具体的にやりたい職業が見つかっていなくて、とにかく好きなことを見つけて一流になります」と書いてあります。小学校のあいだに見つけられなくて、悔しかったんですね。
中学校は、神戸のインターナショナルスクールに通いました。1年生のときに『13歳のハローワーク』という本を読む機会があって、その中には自分がなりたい仕事はなかったのだけど、それがいろいろと考えるきっかけになって、2年生のときに映像を作る仕事につくことを決めました。
その後ニューヨークの大学に進学し、映像について学び、卒業後は仕事として映像をつくり始めました。
そこで驚いたのは、自分としては当たり前のことをやっているだけなのに「すごいがんばりますね」「気が利きますね」「責任感がありますね」と言われることが多くて。それは、間違いなく日本の小学校時代に学んだ姿勢でした。
私みたいに、小学校時代に将来が見えていない、答えられないことが悔しい、恥ずかしいと思うのは行き過ぎかもしれないけれど、どういう人間になりたいか、何をやっていきたいかを早くから考えることは、すごく大切だと思います。
「生きがい」っていうのかな、仕事ではなくても趣味でも良いと思うので、どうかそれを探し続けてください。
それがあるほうが、人生は楽しいから。
取材・文/Questionary編集部

神戸生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。大阪の小学校に通い、神戸のインターナショナルスクールを卒業後に渡米。ニューヨーク大学映画制作学部で映画を学ぶ。代表作に『モンキービジネス: おさるのジョージ著者の大冒険』(2017年ロサンゼルス映画祭でワールドプレミア。日本で2018年劇場公開)『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(2019年にアメリカ最高峰のドキュメンタリー映画祭DOC NYCでワールドプレミア。2020年米スポーツチャンネルESPNで放送、日本で劇場公開)。現在公開中の『小学校〜それは小さな社会〜』の舞台は、世田谷区立塚戸小学校。生徒たちの1年間の様子を撮影し、日本の学校ならではの習慣をナチュラルにとらえた映像は、フィンランドやドイツなどでもロングランヒットを記録している。小学校教育で「日本人」がつくられることがよくわかる作品。

1955年東京都生まれ。78年に『草木の空』でデビュー、80年代の女性詩ブームを牽引。結婚、出産を経て97年に渡米。詩作のほか小説、エッセイ、人生相談など幅広い創作活動を行っている。『河原荒草』で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞したほか、『道行きや』(新潮社)、『いつか死ぬ、それでも生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)、『対談集 ららら星のかなた』(谷川俊太郎氏との共著)など著書多数。

1955年東京都生まれ。78年に『草木の空』でデビュー、80年代の女性詩ブームを牽引。結婚、出産を経て97年に渡米。詩作のほか小説、エッセイ、人生相談など幅広い創作活動を行っている。『河原荒草』で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞したほか、『道行きや』(新潮社)、『いつか死ぬ、それでも生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)、『対談集 ららら星のかなた』(谷川俊太郎氏との共著)など著書多数。

1967年生まれ。1994年にレッド吉田さんとお笑いコンビ「TIM」を結成。2011年から少年院でボランティア講演の活動をスタートし、各種メディアに取り上げられ大きな話題となる。2014年には法務省東京矯正管区から表彰、2018年には法務省矯正支援官に任命。全国各地で「命の授業」と題した講演活動を実施している。著書に『あっ!命の授業』(廣済堂出版)など。

A
ただ自分がやるべきこと=使命を一生懸命やれば、生きる意味につながっていく
僕は2011年から、少年院や学校、高齢者の方々の施設などで、年間何十回も『命の授業』という講演をしています。
お笑い芸人として、「命」などの漢字を体で表すギャグをやってきたけど、今は、漢字の成り立ちを勉強したり、自分で調べたり、想像したりして、先人たちの知恵を伝えています。
少し難しいかもしれないけど、「命」という字は「使命」「運命」「宿命」という言葉に使われているよね。
だから、今、僕が主に漢字を通して言葉の大切さをたくさんの人たちに伝えているのは、自分の「使命」で、自分はそのために「命」を使い果たそうと思っています。
命には限界があるから、変に悩む必要はなくて、ただ自分がやるべきこと=使命を一生懸命やれば、生きる意味につながっていくのかな、って。
あとは、僕は、未来の自分に生かされている、という感覚があります。
ある日、やっと芸能界で成功してちゃんとごはんが食べられるようになって、ちょっと太ってきたので近所の公園でランニングしていたんです。
売れない頃は、その公園でレッドさん(相方のレッド吉田さん)とよくコントの練習をしていて、芝生のある一角で「ああ、ここでレッドさんとあのネタを作ったなあ」と立ち止まった瞬間、わかりました。
今日の俺が応援してたんだ、成功する前の俺たちを、って。
だから俺たちは、あそこでがんばれたんだ、って。
時空をこえてつながれたときに、この質問のもうひとつの答えとして、未来の自分が応援してくれていて、その応援に応えるために、そして未来の自分に近づくためにやることがいっぱいある、とも思うんです。
取材・文/Questionary編集部

1967年生まれ。1994年にレッド吉田さんとお笑いコンビ「TIM」を結成。2011年から少年院でボランティア講演の活動をスタートし、各種メディアに取り上げられ大きな話題となる。2014年には法務省東京矯正管区から表彰、2018年には法務省矯正支援官に任命。全国各地で「命の授業」と題した講演活動を実施している。著書に『あっ!命の授業』(廣済堂出版)など。

1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。著書に「獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り」(小学館)。

A
みんなに愛されているから。
一言で言うと、愛されているから。
みんなが、あなたのことを大好きだからじゃないかな。
そもそも、お父さんとお母さんが愛し合ったから私たちは生まれてきているわけです。
そして、自分が生きていくためには親や育ててくれる人、友だちが必要で、ひとりでは決して生きていけません。
同じように、みんなもあなたを必要としています。
あなたが親になったら、子どもができたらあなたを親として必要とするだろうし、誰かの友達になったら、友達は友達としてあなたを必要とするだろうし、そんなふうにみんながあなたのことを大好きで、必要としているから、あなたは生きているんだと思います。
取材・文/Questionary編集部

1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。著書に「獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り」(小学館)。

1970年1月25日生まれ、京都府出身。1989年に弟である千原ジュニアとコンビ「千原兄弟」を結成。テレビ番組等の企画等でこれまでに70ヵ国以上を訪問し、卓越したコミュニケーション力が話題となる。2018年にメンタルケアカウンセラーの資格を取得。2021年、貧困・就学困難への支援や国際協力の推進等を主な事業とする一般社団法人ギブアウェイを設立、代表理事となる。また、2024年5月に天台宗の僧侶「千原靖賢和尚」となり、動物専門の供養に携わる。著書に『がさつ力』(小学館)、『プロに訊いたら驚いた! ニッポンどうなん?』(ヨシモトブックス)がある。

A
みんな、幸せになるために生きています。
みんな、幸せになるために生きています。
もちろん生きていたら不幸なこともありますけど、でも、みんな幸せになるために生まれてきて、幸せになるために生きているんだと思う。
あと、いろいろなものの命をいただいて生きていますよね。
魚を食べて、お肉を食べて、お野菜を食べて、あなたは一人でではなく、いろいろな人に力を借りて、サポートしてもらって生きているんじゃないですか?
僕は、今まで世界中を旅してきました。
あるとき、アジアのどこかを旅していて言われたんですよ。
「なんで日本人って自分らのことスペシャルだと思ってんねん」って。
そこでハッとしました。たしかにそういうところもあるなって。
日本がダメだ、他の国がすごいんだと言いたいわけではありません。
僕は、結局情報量をたくさん持っていると人生が絶対豊かになると思っているので、日本を出て、いろいろなものを見たり触ったりすることが、これから一番大事だと思います。
幸せになるために。
取材・文/Questionary編集部

1970年1月25日生まれ、京都府出身。1989年に弟である千原ジュニアとコンビ「千原兄弟」を結成。テレビ番組等の企画等でこれまでに70ヵ国以上を訪問し、卓越したコミュニケーション力が話題となる。2018年にメンタルケアカウンセラーの資格を取得。2021年、貧困・就学困難への支援や国際協力の推進等を主な事業とする一般社団法人ギブアウェイを設立、代表理事となる。また、2024年5月に天台宗の僧侶「千原靖賢和尚」となり、動物専門の供養に携わる。著書に『がさつ力』(小学館)、『プロに訊いたら驚いた! ニッポンどうなん?』(ヨシモトブックス)がある。

1961年福島県郡山市生まれ。幼少期から体力に自身が無く、就職後すぐに退職し、自営をしながら健康法を探求。コンピュータ会社経営を経て1999年に起業家へ転身。相続支援、営業コンサル、飲食、建築検査、浄水器輸入など多分野で事業を展開。55歳で「元気になる方法」を最後の仕事にしようと志し、リライブシャツの開発に至る。現在リライブウェアシリーズは累計販売枚数300万枚(集計期間:2019年7月1日〜2025年4月30日)を突破、リライブウェアを通じて世界の健康に貢献することを目指している。

A
あなたは“使命”を持ってこの世に生まれてきています。
それは、修行をして学ぶためです。
生まれたときに神様と交わした約束を忘れてしまっているかもしれませんが、あなたは“使命”を持ってこの世に生まれてきています。
そして、その使命はすべて「誰かのため」にあるものです。
その使命を果たすためには、何の力も持たずには成し遂げられません。
だからこそ、学び、自分の力を高め、自分の価値を磨いていく。
誰かのためにその力を使うことが、僕は人生の意味だと思っています。
取材・文/Questionary編集部

1961年福島県郡山市生まれ。幼少期から体力に自身が無く、就職後すぐに退職し、自営をしながら健康法を探求。コンピュータ会社経営を経て1999年に起業家へ転身。相続支援、営業コンサル、飲食、建築検査、浄水器輸入など多分野で事業を展開。55歳で「元気になる方法」を最後の仕事にしようと志し、リライブシャツの開発に至る。現在リライブウェアシリーズは累計販売枚数300万枚(集計期間:2019年7月1日〜2025年4月30日)を突破、リライブウェアを通じて世界の健康に貢献することを目指している。

1979年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、 株式会社ダイエーに入社。3年のサラリーマン生活を経て、 2006年空也に入社。翌年より東京製菓学校へ通いながら、数年間製造現場で菓子作りを経験。現在は5代目として経営に携わる。2011年には、新業態ブランド『空いろ』をオープン。2015年よりフランスの料理学校ル・コルドンブルー日本校にて和菓子の授業を担当。和菓子文化を盛り上げる為、銀座の仲間と音楽のある空間でお菓子とお酒を愉しむイベント 『アンコマンないと』を主催。これまでに数十社との企業と商品開発、商品のプロデュースを行なっている。

A
この世界であなたが果たすべき役割があるから
それは、この世界であなたが果たすべき役割があるからだと思います。
僕の友人に、銀座で煎餅屋さんを営んでいる人がいるのですが、彼はこれまでに何度も生死の境をさまよっています。
生まれつき腎臓が普通の人の3分の1しかなく、それに気づかずに過ごしていたのですが、あるとき血圧が270まで上がったんです。それは首の長いキリンに血を届けるくらいの数値なんだそうです。
ようやく退院したと思ったら、その日に脳梗塞で再び同じ病院に戻ることになったりもしました。
また、先日も一緒に食事をしていた友人が階段を踏み外して落ちてきたとき、彼はとっさにかばって下敷きになり、腰から足まで左半分を骨折しました。
打ちどころが悪ければ死んでいたかもしれない。そんな人を身近に見ていると、「この人にはこの世で果たすべき何かがあるんだ」と強く感じます。
だって、人は時にあっけなく命を落としてしまうものだから。逆に言えば、今の世界ではなく別の場所で役割を持っている人は、早くそちらへ旅立つのかもしれません。
僕自身の役目は、和菓子という食文化や、あんこという素材をいろんな角度から伝えていくこと。
そして銀座という街がいつまでもキラキラと輝き続けるために、自分なりの役割を果たすことだと思っています。
銀座は常に新しいものが入って変わっていく街で、日本初のマクドナルドも、スターバックスも、H&Mも、すべて銀座に一号店がありました。
来るものを拒まない街だからこそ、そこにいる自分もまた大きな刺激を受けているんです。
取材・文/Questionary編集部

1979年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、 株式会社ダイエーに入社。3年のサラリーマン生活を経て、 2006年空也に入社。翌年より東京製菓学校へ通いながら、数年間製造現場で菓子作りを経験。現在は5代目として経営に携わる。2011年には、新業態ブランド『空いろ』をオープン。2015年よりフランスの料理学校ル・コルドンブルー日本校にて和菓子の授業を担当。和菓子文化を盛り上げる為、銀座の仲間と音楽のある空間でお菓子とお酒を愉しむイベント 『アンコマンないと』を主催。これまでに数十社との企業と商品開発、商品のプロデュースを行なっている。

アメリカ・サンディエゴ在住の全盲ヨットマン。13歳で視力を失いはじめ、16歳で全盲に。2013年、辛坊治郎氏と太平洋横断に挑戦するも達成ならず。2016年、50歳でハーフアイアンマン完走(サンディエゴ)。2019年、世界初のブラインドセーラーとして無寄港太平洋横断を達成。現在、NPO法人Global Arigato Project代表としても活動。2027年には単独で無寄港太平洋横断に挑戦予定。著書に『見えないからこそ見えた光 絶望を希望に変える生き方』。

A
ぼくらは「生かされている」
ぼくらは「生かされている」んだと思います。
おたがいに助け合いながら生きていくために、そして誰かのために何かをするために、ぼくたちはここに生きているんじゃないかな。
大きなことでも、小さなことでもいい。
何かに挑戦すると、自分の中に小さなロウソクの火がともるんです。
その火は、ほうっておくと消えてしまうけれど、人に分けてあげることで、まわりが少しずつ明るくなっていく。
人が生きているのは、その心の火をともし、それを人に分けていくためなんだと思います。
ぼくもむかし、「どうして自分だけ目が見えなくなってしまったんだろう」と思って、そんな自分がいやになったこともありました。
でも、時間がたつうちに、「目が見えなくなったのは、人にしあわせを届けるためだったのかもしれない」と思えるようになったんです。
弱いところもふくめて自分であり、その弱さがあるからこそ、人の気持ちによりそえる。
そう考えると、生きているだけで、もうすでに誰かの力になっているのかもしれません。
だから、「人のために何かをしなきゃ」と思わなくてもいいんです。
ただここに生きているだけで、あなたを見た誰かが「ハッ」としたり、元気をもらったりしている。
ぼくたちの小さな行動や言葉でも、ちゃんと誰かに届いているんです。
たとえば、ぼくが自分のむすめに「太平洋のまんなかで、どんなに嵐が荒れても、自分を地球の外から見るとこわくなくなったんだ」と話したことがありました。
その話を聞いたむすめは宇宙に興味を持つようになって、今では大学で宇宙のことを学んでいます。
「誰かのために生きる」というのは、特別なことをするという意味じゃありません。
ただ生きて、息をしているだけでも意味があるんです。
そしてその思いやさしさが、十人へ、さらにその先の十人へと広がっていく。
そうやって、しあわせが少しずつ世界に広がっていくんだと思います。
取材・文/Questionary編集部

アメリカ・サンディエゴ在住の全盲ヨットマン。13歳で視力を失いはじめ、16歳で全盲に。2013年、辛坊治郎氏と太平洋横断に挑戦するも達成ならず。2016年、50歳でハーフアイアンマン完走(サンディエゴ)。2019年、世界初のブラインドセーラーとして無寄港太平洋横断を達成。現在、NPO法人Global Arigato Project代表としても活動。2027年には単独で無寄港太平洋横断に挑戦予定。著書に『見えないからこそ見えた光 絶望を希望に変える生き方』。

1974年、茨城県生まれ。1995年にBRAHMANを結成。2025年に活動30周年を迎え、7年ぶりの待望のニューアルバム『viraha』をリリース。またアコースティックバンドOAUのヴォーカル&ブズーキ、細美武士氏とのバンドthe LOW-ATUSとしても活躍。キャンプや自然体験をしながら音楽も楽しめるイベントNew Acoustic Camp(通称「ニューアコ」)およびその姉妹イベント ACO CHiLL CAMP(「あこちる」)のオーガナイザーも務める。NPO法人「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」代表。

A
どうか「自分なりの答え」を見つけてほしい
この問いの答えを知っている大人は、世界にひとりもいません。
ずっと昔から、何千人、何万人、何億人という人たちが考えてきたけれど、まだ答えが出ていない――それくらい、すごく難しい問いです。
だからこそ、あなたにお願いしたいのは、あなたの人生が終わるその日までに、どうか「自分なりの答え」を見つけてほしい。
もしかしたら、人はその答えを見つけるために生きているのかもしれません。
最後に目を閉じるとき、「ああ、そういうことだったのか」と気づくのかもしれない。
「おじさんは答えを見つけたの?」って聞かれたら、まだ自信はないけど、少しずつ見えてきている気はするよ。
取材・文/Questionary編集部

1962年東京都生まれ。1995年に映画『幻の光』で長編監督デビュー。2018年公開の『万引き家族』では、カンヌ国際映画祭 において最高賞のパルムドールを受賞。2019年の『真実』では海外キャスト・スタッフとの本格的な映画制作に挑戦。2022年には初の韓国映画『ベイビー・ブローカー』で、第75回カンヌ国際映画祭のエキュメニカル審査員賞を受賞。さらに2023年の『怪物』は、第76回カンヌ国際映画祭 で脚本賞(坂元裕二氏)とクイア・パルム賞のダブル受賞を果たすなど、世界的にも高い評価を受けている。家族や人間関係を繊細に描く作品で知られ、現在は、綾瀬はるかさんと大悟さん(千鳥)が出演する最新作『箱の中の羊』が公開中。息子を亡くした夫婦が、息子の姿をしたヒューマノイドと暮らしながら、「家族とは何か」を問い直していく物語。

A
「生きている」と「死んでいる」の境目は、実はそんなにはっきりしていない
誰かがあなたに生きていてほしいと思っているからじゃないかなと思います。家族や友達だけでなく、これから先に出会う誰かもそうかもしれません。
そもそも僕は、「生きている」と「死んでいる」の境目は、実はそんなにはっきりしていないと思っています。
昔は心臓が止まったら死んだと考えられていました。でも今は脳死という考え方もあります。時代によって、生と死の境界の考え方は少しずつ変わってきたんです。
また、お医者さんからこんな話を聞いたことがあります。「輸血も、考え方によっては臓器移植のひとつだ」と。たしかに輸血も、自分の体にはなかったものを体の中に入れることですよね。
そう考えると、「どこまでが自分なのか」ということも、意外と簡単には答えられない問題なんです。
これから先は、人と機械の関係ももっと変わっていくでしょう。ペースメーカーのように体の中に機械を入れて生活している人もいますし、AIもどんどん身近になっています。
そうなると、「何が命なのか」「どこまでが人間なのか」という問いへの答えも、少しずつ変わっていくのかもしれません。
取材・文/Questionary編集部

1962年東京都生まれ。1995年に映画『幻の光』で長編監督デビュー。2018年公開の『万引き家族』では、カンヌ国際映画祭 において最高賞のパルムドールを受賞。2019年の『真実』では海外キャスト・スタッフとの本格的な映画制作に挑戦。2022年には初の韓国映画『ベイビー・ブローカー』で、第75回カンヌ国際映画祭のエキュメニカル審査員賞を受賞。さらに2023年の『怪物』は、第76回カンヌ国際映画祭 で脚本賞(坂元裕二氏)とクイア・パルム賞のダブル受賞を果たすなど、世界的にも高い評価を受けている。家族や人間関係を繊細に描く作品で知られ、現在は、綾瀬はるかさんと大悟さん(千鳥)が出演する最新作『箱の中の羊』が公開中。息子を亡くした夫婦が、息子の姿をしたヒューマノイドと暮らしながら、「家族とは何か」を問い直していく物語。

1978年生まれ。95年から活動を開始し、俳優としても活躍の場を拡げる。2019年に日本武道館でのワンマンライブを開催。2024年8月14日に開催されたMCバトル大会「BATTLE SUMMIT Ⅱ」で優勝し、その優勝賞金2000万円の全額を子どもたちのために寄付すると宣言。その全額を投じて水に困っているカンボジアの地に井戸を掘った。その一部始終を綴った著書『般若、井戸を掘る』(流星舎刊)は、「HIPHOP の核にあるのは『助け合い』である」という冒頭の言葉から始まり、「もし闘うのなら次世代の担う子どもたちのために、弱い人たちのために闘いたい」というメッセージは深く心に残る。般若というひとりの人間の嘘のない生き方と、それを貫くために負ってきた数々の傷に、どこかで必ず共感と感銘を覚えずにはいられない一冊。現在、通算16枚目のニューアルバム『2000%HIPHOP』が好評発売中。全国ツアー「般若 2000%HIPHOP LIVE TOUR 2026」が8月30日(仙台)から10月24日(東京・LINE CUBE SHIBUYA)まで全国5都市で開催。

A
生きることに意味なんかないよ。
生きることに意味なんかないよ。
だってしょうがないよ、生まれちゃったんだから。
人生は、楽しいことばかりじゃないけど、つらいことばかりでもない。
もし君が、今めちゃめちゃつらい状況だったとしても、ずっとは続かないからさ。
君が大人になったら、そういう環境の子の力になってあげてほしい。
オレは、「4割休んで、6割がんばる」くらいの気持ちで生きている。
もちろん、一生懸命やることは大事だよ。
でも、人生ずっとアクセル全開で走り続けるなんて無理だから。
みんなもそうかもしれないけど、年に何回か、120パーセントの力を出さなきゃいけない場面がある。そのために、ふだん力を抑えているっていう感じもあるかな。
続けていくためには。休む時間も絶対必要だよ。
取材・文/Questionary編集部

1978年生まれ。95年から活動を開始し、俳優としても活躍の場を拡げる。2019年に日本武道館でのワンマンライブを開催。2024年8月14日に開催されたMCバトル大会「BATTLE SUMMIT Ⅱ」で優勝し、その優勝賞金2000万円の全額を子どもたちのために寄付すると宣言。その全額を投じて水に困っているカンボジアの地に井戸を掘った。その一部始終を綴った著書『般若、井戸を掘る』(流星舎刊)は、「HIPHOP の核にあるのは『助け合い』である」という冒頭の言葉から始まり、「もし闘うのなら次世代の担う子どもたちのために、弱い人たちのために闘いたい」というメッセージは深く心に残る。般若というひとりの人間の嘘のない生き方と、それを貫くために負ってきた数々の傷に、どこかで必ず共感と感銘を覚えずにはいられない一冊。現在、通算16枚目のニューアルバム『2000%HIPHOP』が好評発売中。全国ツアー「般若 2000%HIPHOP LIVE TOUR 2026」が8月30日(仙台)から10月24日(東京・LINE CUBE SHIBUYA)まで全国5都市で開催。

1935年4月19日生まれ。今回登場する「Around 100歳」の先輩たちのなかでは、91歳の若宮正子さんが最年少です。でも、やっていることは誰よりも最先端です。
若宮さんが小学生のころ、日本は戦争をしていました。9歳で、空襲を避けて地方へ移る「学童疎開」を経験。戦争中は授業の代わりに働き、戦後は教科書がなく、授業ができませんでした。学校や社会が大きく変わるなかで、子ども時代を過ごしたのです。
その後、銀行員として働き、58歳でパソコンを衝動買い。今のように、買ってすぐ使える時代ではありません。本を読み、わからないことはくわしい人にたずねながら、少しずつ使い方を覚えました。この出会いが、その後の人生を大きく変えます。
81歳のときには、お年寄りも楽しめるゲームアプリ『hinadan』を開発し、Appleにも招かれました。現在は「ITエバンジェリスト」として活躍しています。「エバンジェリスト」とは、もともと宣教師という意味。新しい技術の魅力や、どんなことに使えるのかを、たくさんの人に伝える仕事です。
次々と新しいアプリやAIが登場するITの世界。若宮さんは、「全部わかろうとしなくてもいいんです。自分に必要なところだけを、つまみ食いするように取り入れればいい」と話します。プログラミングも、つくりたいものに必要なことだけを少しずつ覚えてきました。今回は悪天候のため、若宮さんだけオンラインで取材。ITを使いこなす若宮さんらしい取材となりました。
口癖は、「とりあえず、やってみよう」。海外旅行も大好きで、仕事や旅行で世界各地へ出かけます。91歳の今も、若宮さんは人生を思いきり楽しんでいます。

A
91歳になった私は、「生きている」というよりも、「生きさせてもらっている」と感じます
その答えは、一人ひとり違います。
ほかの人とは、生きている目的も、考え方も、置かれている環境も違いますから、誰かの答えがそのまま自分の答えになるとは限りません。
だから、これからも生き続けてください。
生きているうちに、「自分はこういうふうに生きたいんだ」という答えが、少しずつ見えてくると思います。
91歳になった私は、「生きている」というよりも、「生きさせてもらっている」と感じます。
戦争や病気、事故など、いくつもの危険を運よく切り抜けて、ここまで生きてきました。だから、いただいた命を大切にして、長く生きてきた意味を考えたいと思っています。
長い人生を生きた人の経験は、みんなにとって大切な宝物です。その知恵を次の時代に伝えることも、長生きした人の役目なのかもしれません。
取材・文/Questionary編集部

1935年4月19日生まれ。今回登場する「Around 100歳」の先輩たちのなかでは、91歳の若宮正子さんが最年少です。でも、やっていることは誰よりも最先端です。
若宮さんが小学生のころ、日本は戦争をしていました。9歳で、空襲を避けて地方へ移る「学童疎開」を経験。戦争中は授業の代わりに働き、戦後は教科書がなく、授業ができませんでした。学校や社会が大きく変わるなかで、子ども時代を過ごしたのです。
その後、銀行員として働き、58歳でパソコンを衝動買い。今のように、買ってすぐ使える時代ではありません。本を読み、わからないことはくわしい人にたずねながら、少しずつ使い方を覚えました。この出会いが、その後の人生を大きく変えます。
81歳のときには、お年寄りも楽しめるゲームアプリ『hinadan』を開発し、Appleにも招かれました。現在は「ITエバンジェリスト」として活躍しています。「エバンジェリスト」とは、もともと宣教師という意味。新しい技術の魅力や、どんなことに使えるのかを、たくさんの人に伝える仕事です。
次々と新しいアプリやAIが登場するITの世界。若宮さんは、「全部わかろうとしなくてもいいんです。自分に必要なところだけを、つまみ食いするように取り入れればいい」と話します。プログラミングも、つくりたいものに必要なことだけを少しずつ覚えてきました。今回は悪天候のため、若宮さんだけオンラインで取材。ITを使いこなす若宮さんらしい取材となりました。
口癖は、「とりあえず、やってみよう」。海外旅行も大好きで、仕事や旅行で世界各地へ出かけます。91歳の今も、若宮さんは人生を思いきり楽しんでいます。

現役看護師・川嶋みどりさん。看護師になってから、75年になります。
1931年5月18日、当時、日本が植民地として支配していた京城(現在の韓国・ソウル)で、6人きょうだいの長女として生まれました。父親の仕事のため、子どもの頃は家族で何度も引っ越し、戦争が終わると日本へ戻りました。
20歳で看護師になり、日本赤十字社中央病院の小児病棟へ。戦争に負けたあとの日本では、薬や医療機器が足りませんでした。さらに連合国軍の占領下にあり、その命令によって、親が子どもに付き添って病院に泊まることもできません。そこで、看護師たちが親代わりとなって子どもたちの世話をしていました。
それでも助けることができず、亡くなった子どもは少なくありません。70年以上がたった今も、川嶋さんはその子たちの名前を一人ひとり、フルネームで覚えているそうです。
それからずっと、「看護とは何か」「人に寄り添うとはどういうことか」を考え続けてきました。2007年には、すぐれた看護活動をした人に贈られる世界的な賞「フローレンス・ナイチンゲール記章」を受章しました。
今も全国で講演をし、そこで必ず語るのが、自分の戦争体験です。
「一人殺せば犯罪なのに、戦争になると大勢殺したほうがほめられてしまう。そんなことは、人間がしてはいけないことだと思います」
そんな川嶋さんが大切にしているのが、「一日に一つ知る」という「一日一知」ではなく、「一分に一つ知る」という「一分一知」。最近では、AIについて学ぶセミナーにもみずから足を運んだそうです。
95歳になった今も、知らないことを知ろうとする。そして、看護、命、平和について、次の世代に伝え続けています。

A
自分が生きていることが、誰かの力になることもある
忘れられない患者さんの話があります。白血病のえっちゃんという女の子です。
ある日、えっちゃんが大きな目で看護師を見て、「私を死なせないで。私を助けて!」って訴えたそうなんです。
そして、「もし私が死んだら、血液外来に通っている患者の中で一番若い私が死んだら、ほかの患者さんががっかりしちゃうでしょう。だから、ここで死なせちゃダメ!」って。
えっちゃんは、同じ病気と闘っている患者さんたちと友だちになっていました。
だから、自分の命は自分だけのものじゃない。ほかの患者さんのためにも生きたい。そう思ったんでしょうね。
もうひとつ、私が実際に出会ったご夫婦のことも忘れられません。
意識が戻らず、話しかけても反応することができない奥さんのところへ、ご主人が毎日のようにお見舞いに来ていました。
ある日、そのご主人が、
「反応はなくても、病院へ行けば妻に会えると思うと張りが出る。生きているって、すばらしいですね」
って話してくれたんです。
言葉は返ってこない。でも、奥さんは生きているだけで、ご主人の支えになっていたんです。
だから、人間は一人で生きているんじゃない。
自分が生きていることが、誰かの力になることもある。
それも、生きる意味のひとつなんじゃないかなって思います。
それとね、生きるっていうことは、時間を持っているっていうことなんですよ。
時間は、誰にでも平等です。
その限られた時間を、一刻一刻大切に、自分らしく生きていく。
もちろん、戦争や災害のように、自分ではどうにもできないこともあります。
でも、何も考えずに一日を過ごすのと、「今日という一日を大切に生きよう」と思って過ごすのとでは、同じ一日でも違うと思うんです。
そうやって自分の時間を一日一日生きていく。その先に人生の終わりがあれば、それが一番幸せなんじゃないかなって思います。
取材・文/Questionary編集部

現役看護師・川嶋みどりさん。看護師になってから、75年になります。
1931年5月18日、当時、日本が植民地として支配していた京城(現在の韓国・ソウル)で、6人きょうだいの長女として生まれました。父親の仕事のため、子どもの頃は家族で何度も引っ越し、戦争が終わると日本へ戻りました。
20歳で看護師になり、日本赤十字社中央病院の小児病棟へ。戦争に負けたあとの日本では、薬や医療機器が足りませんでした。さらに連合国軍の占領下にあり、その命令によって、親が子どもに付き添って病院に泊まることもできません。そこで、看護師たちが親代わりとなって子どもたちの世話をしていました。
それでも助けることができず、亡くなった子どもは少なくありません。70年以上がたった今も、川嶋さんはその子たちの名前を一人ひとり、フルネームで覚えているそうです。
それからずっと、「看護とは何か」「人に寄り添うとはどういうことか」を考え続けてきました。2007年には、すぐれた看護活動をした人に贈られる世界的な賞「フローレンス・ナイチンゲール記章」を受章しました。
今も全国で講演をし、そこで必ず語るのが、自分の戦争体験です。
「一人殺せば犯罪なのに、戦争になると大勢殺したほうがほめられてしまう。そんなことは、人間がしてはいけないことだと思います」
そんな川嶋さんが大切にしているのが、「一日に一つ知る」という「一日一知」ではなく、「一分に一つ知る」という「一分一知」。最近では、AIについて学ぶセミナーにもみずから足を運んだそうです。
95歳になった今も、知らないことを知ろうとする。そして、看護、命、平和について、次の世代に伝え続けています。

「無理をしない、ってことかな。無理して努力なんかせんほうがいいと思う」
人生のモットーを聞くと、そう答えた中島さん。100歳になった今も、毎日絵を描いています。
1926年1月11日、◯◯生まれ。戦争中は飛行機工場で働き、空襲で家を焼かれ,
母を亡くしました。戦地から帰った兄も病気で亡くなり、戦争が終わると、「これからどうしよう」と岐阜へ。20歳ごろには、炭鉱(石炭を掘り出す場所)で働きました。
そこで暇な時間に似顔絵を描いていると、まわりから「うまいなあ」とほめられます。働く人たちが暮らす寮のコンクールで入選し、賞金をもらったことも。「これが私が絵描きになったきっかけです」と振り返ります。
その後、東京に戻り、久我山の東郷青児先生をたずねて、二科美術研究所で本格的に絵を習います。そして、いくつかの展覧会に絵を出しました。でも、人に審査されるのがどうも性に合わない。建物などを描けば入選するのに、自分が描きたいちょっと変わった絵は「漫画みたいだ」と言われる。それなら、と展覧会に出すのをやめました。
人に評価されるためではなく、自分が描きたいものを描く。そのスタイルは今も変わりません。
30歳ごろからは、自分で工場をやりながら絵を描き続けました。やがて、描くものは人間が中心に。「人間はちょっとバランスが崩れると、おかしなところがすぐ目につく。いちばん難しい」といいます。
絵を描いていても、「これでいい」と思うことはなかなかありません。描いているときはよくても、何日かして見直すと、また違って見える。描いている時間より、どう描こうかと考えている時間のほうが長いそうです。
一方で、健康のためだからと無理に運動することもありません。奥様を3年ほど前に亡くし、今はひとり暮らし。自転車で買い物へ行き、ときどき、ぶらぶら歩くくらいです。
無理はしない。でも、絵はやめない。
本格的に絵を描き始めてから今日まで、筆を持たなかった日はないそうです。
100歳の今も、「今日はどうしよう」と考えながら、毎日絵に向かっています。

A
人間だけが、「どうして生きているんだろう」って、ときどき考える。
私にも、どうしてかわからない。
虫も、動物も、鳥も、植物も、生きることに一生懸命です。
人間だけが、「どうして生きているんだろう」って、ときどき考える。
美しい花を見たり、小鳥の声を聞いたり、美しい景色を見たり、楽しい音楽を聞いたり、おいしいものを食べたり。
人に親切にして、友だちをつくって、これからの人生について話し合ったり。
そうしていれば、きっと、「生きていてよかった」と思うはずです。
あなたが生きていることは、100歳の私には、宝物のように見えます。
取材・文/Questionary編集部

「無理をしない、ってことかな。無理して努力なんかせんほうがいいと思う」
人生のモットーを聞くと、そう答えた中島さん。100歳になった今も、毎日絵を描いています。
1926年1月11日、◯◯生まれ。戦争中は飛行機工場で働き、空襲で家を焼かれ,
母を亡くしました。戦地から帰った兄も病気で亡くなり、戦争が終わると、「これからどうしよう」と岐阜へ。20歳ごろには、炭鉱(石炭を掘り出す場所)で働きました。
そこで暇な時間に似顔絵を描いていると、まわりから「うまいなあ」とほめられます。働く人たちが暮らす寮のコンクールで入選し、賞金をもらったことも。「これが私が絵描きになったきっかけです」と振り返ります。
その後、東京に戻り、久我山の東郷青児先生をたずねて、二科美術研究所で本格的に絵を習います。そして、いくつかの展覧会に絵を出しました。でも、人に審査されるのがどうも性に合わない。建物などを描けば入選するのに、自分が描きたいちょっと変わった絵は「漫画みたいだ」と言われる。それなら、と展覧会に出すのをやめました。
人に評価されるためではなく、自分が描きたいものを描く。そのスタイルは今も変わりません。
30歳ごろからは、自分で工場をやりながら絵を描き続けました。やがて、描くものは人間が中心に。「人間はちょっとバランスが崩れると、おかしなところがすぐ目につく。いちばん難しい」といいます。
絵を描いていても、「これでいい」と思うことはなかなかありません。描いているときはよくても、何日かして見直すと、また違って見える。描いている時間より、どう描こうかと考えている時間のほうが長いそうです。
一方で、健康のためだからと無理に運動することもありません。奥様を3年ほど前に亡くし、今はひとり暮らし。自転車で買い物へ行き、ときどき、ぶらぶら歩くくらいです。
無理はしない。でも、絵はやめない。
本格的に絵を描き始めてから今日まで、筆を持たなかった日はないそうです。
100歳の今も、「今日はどうしよう」と考えながら、毎日絵に向かっています。
なんで夜は怖くなるんだろう 記事一覧 「(マイクロプラスティックが浮いている海を見て)キラキラしてキレイ。これは誰がやったの!?」