Q&A

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Q

なんで勉強はどんどん難しくなるの?(小5・女子)

こたえたおとなたち
  • 日本人初・ルーマニア語の小説家

    済東鉄腸さん

  • 『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』著者

    DJ・HAGGYさん

  • 解剖学者

    養老孟司さん

  • 株式会社りらいぶ代表取締役

    佐々木貴史さん

  • 空也5代目社長

    山口彦之さん

  • 脚本家・演出家

    大森美香さん

プロフィール

済東鉄腸

日本人初・ルーマニア語の小説家

済東鉄腸(サイトウテッチョウ)さん

1992年千葉県市川市生まれ。映画ライターとして活動後、引きこもり生活の中で東ヨーロッパの映画にのめりこみ、ルーマニアを中心とする東ヨーロッパ文化に熱中する。その後ルーマニア語で小説や詩を書き続け、現地でも作家として地位を確立している。著書『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』(左右社)は、夢を叶えためのヒントと、学ぶことの楽しさがモーレツに伝わってくる、なにか新しいことを始めたくなるパワーをもらえる一冊。

A

難しさは、おもしろいこと

“難しさ”って言うのは、オレにとってはおもしろいことなんですよ。たとえば、今中世哲学と金融論に興味があって、いろいろ本を読んでいるけど、マジで意味がわからない。そのときオレは、「ああ、世の中には自分がこんなにまでわからないことがあるのか」と、ワクワクしてしかたないんです。だから、むしろ自分からどんどん難しさを探しにいっている。でも、これも誰かに言われてやるのではなくて、好きで自分がやりたいからやっているからこそ、できることです。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2023.10.17

プロフィール

済東鉄腸

日本人初・ルーマニア語の小説家

済東鉄腸(サイトウテッチョウ)さん

1992年千葉県市川市生まれ。映画ライターとして活動後、引きこもり生活の中で東ヨーロッパの映画にのめりこみ、ルーマニアを中心とする東ヨーロッパ文化に熱中する。その後ルーマニア語で小説や詩を書き続け、現地でも作家として地位を確立している。著書『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』(左右社)は、夢を叶えためのヒントと、学ぶことの楽しさがモーレツに伝わってくる、なにか新しいことを始めたくなるパワーをもらえる一冊。

プロフィール

DJ・HAGGY

『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』著者

DJ・HAGGY(ディージェイ・ハギー)さん

DJ・HAGGY(本名:萩原浩一/はぎわらひろかず) ラジオDJ・教師
湘南出身・在住。物心ついた頃から親と離れて暮らす。小学校5年生の頃、京都で入院した病院でラジオの魅力に目覚め、ラジオDJになる夢を抱く。高校卒業後、厚生事務官として厚生省精神科神経科療養所や国立小児病院で働きながら、大学にも通う。卒業後はご縁あって教師(公立中学校、私立中学校高等学校、学習塾&予備校勤務)の道へ。平成8年4月28日、レディオ湘南にてDJ・HAGGYとしてスタートした朝の番組は、24年間、6000回以上の放送回数を重ね、土日以外は朝3時起きの生活を続ける。現在もお世話になった地元への恩返しの気持ちを込めて、数多くの親善大使やアンバサダーを務めている。また、多摩大学湘南キャンパス・グローバルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科と、目白大学新宿キャンパス・メディア学部メディア学科の非常勤講師も務める。著書に『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』(文芸社)。HP:https://www.djhaggy.com

A

自分の体だって大きくなるんだから、勉強もどんどん難しくなるよ。

僕の場合は勉強は大っ嫌いだったけど、ラジオDJという自分の夢に近づくために勉強をがんばっていました。
その夢を持ったきっかけは、小学校5年生のとき、京都旅行の際に1ヵ月盲腸炎で入院したこと。一日中ラジオを聴いていたら、ラジオが僕に語りかけてくれているような感じがして、すっかりその世界の虜になったんです。
家に帰ってからもずっとラジオを聴き続けて、この世界を目指そうと決めて、だからすぐに放送委員になりました。

中学校に入ってからもラジオ番組を研究し続けて、自由研究では全国のNHKの放送局にハガキを出して、それぞれの地域でどんな番組をやっているのか、調べて提出しました。おかげでその頃のあだ名は「NHK」でした。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2023.10.17

プロフィール

DJ・HAGGY

『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』著者

DJ・HAGGY(ディージェイ・ハギー)さん

DJ・HAGGY(本名:萩原浩一/はぎわらひろかず) ラジオDJ・教師
湘南出身・在住。物心ついた頃から親と離れて暮らす。小学校5年生の頃、京都で入院した病院でラジオの魅力に目覚め、ラジオDJになる夢を抱く。高校卒業後、厚生事務官として厚生省精神科神経科療養所や国立小児病院で働きながら、大学にも通う。卒業後はご縁あって教師(公立中学校、私立中学校高等学校、学習塾&予備校勤務)の道へ。平成8年4月28日、レディオ湘南にてDJ・HAGGYとしてスタートした朝の番組は、24年間、6000回以上の放送回数を重ね、土日以外は朝3時起きの生活を続ける。現在もお世話になった地元への恩返しの気持ちを込めて、数多くの親善大使やアンバサダーを務めている。また、多摩大学湘南キャンパス・グローバルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科と、目白大学新宿キャンパス・メディア学部メディア学科の非常勤講師も務める。著書に『1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話』(文芸社)。HP:https://www.djhaggy.com

プロフィール

養老孟司

解剖学者

養老孟司(ヨウロウ・タケシ)さん

1937年11月11日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。日本の医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。2003年に出版された『バカの壁』は450万部を突破。著書『ものをわかるということ』(祥伝社)は、体がおざなりにされた昨今の勉強における「身につける」という言葉の真意や、子どもたちがぶつかるであろうさまざまな壁との向き合い方が綴られた、これからの予測不可能な時代をサバイヴするために必携の一冊。

A

難しくならなきゃ、おもしろくないでしょ?

どんどん難しくならなきゃ、おもしろくないでしょ?

 

大切なのは、難しくてもなるべく人に教わらないようにすること。問題っていうのは、まずは自分で解かなきゃいけません。

 

例えば、今は中学校の数学で習う「ピタゴラスの定理」というのがあります。ふつうみんなそれを先生に教わって、すぐわかるようになる。でも僕は先生の話を聞く前に、自分でわかるまで1週間考え続けました。

 

そうすると一生忘れないし、なにより「自分で考えればなんとかなる」という自信がつきますよ。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2023.10.17

プロフィール

養老孟司

解剖学者

養老孟司(ヨウロウ・タケシ)さん

1937年11月11日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。日本の医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。2003年に出版された『バカの壁』は450万部を突破。著書『ものをわかるということ』(祥伝社)は、体がおざなりにされた昨今の勉強における「身につける」という言葉の真意や、子どもたちがぶつかるであろうさまざまな壁との向き合い方が綴られた、これからの予測不可能な時代をサバイヴするために必携の一冊。

プロフィール

佐々木貴史

株式会社りらいぶ代表取締役

佐々木貴史(ササキタカシ)さん

1961年福島県郡山市生まれ。幼少期から体力に自身が無く、就職後すぐに退職し、自営をしながら健康法を探求。コンピュータ会社経営を経て1999年に起業家へ転身。相続支援、営業コンサル、飲食、建築検査、浄水器輸入など多分野で事業を展開。55歳で「元気になる方法」を最後の仕事にしようと志し、リライブシャツの開発に至る。現在リライブウェアシリーズは累計販売枚数300万枚(集計期間:2019年7月1日〜2025年4月30日)を突破、リライブウェアを通じて世界の健康に貢献することを目指している。

A

目的や関心がはっきりしていないと、勉強ってどんどん難しく感じる

すべての勉強が難しいと感じているのかな?

 

それとも、一部だけが難しくて、他の勉強はそうでもないと感じているのかな?

 

もし一部分だけが難しいとしたら、それはもしかすると、君が本当に興味を持てていない分野なのかもしれない。

 

目的や関心がはっきりしていないと、勉強ってどんどん難しく感じるものです。

 

でも、大人になってわかるのは、「やりたくない」と思っていた勉強が、思わぬところで役に立つこともあるということ。

 

たとえば、「わからないことを、わかるまで粘り強く取り組む力」や、「計画的に物事を進める力」は、どんな分野でも必要になってくる。

 

そういった力は、むしろ“やりたくない勉強”からこそ学べるかもしれない。

 

もちろん、無理にやる必要はないと僕は思います。

 

でも、親や先生に「やりなさい」と言われて、どうしてもやらざるを得ないなら、せめて「これは将来、自分の力になるかもしれない」と思いながらやってみると、少し気持ちが楽になるかもしれません。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2023.10.17

プロフィール

佐々木貴史

株式会社りらいぶ代表取締役

佐々木貴史(ササキタカシ)さん

1961年福島県郡山市生まれ。幼少期から体力に自身が無く、就職後すぐに退職し、自営をしながら健康法を探求。コンピュータ会社経営を経て1999年に起業家へ転身。相続支援、営業コンサル、飲食、建築検査、浄水器輸入など多分野で事業を展開。55歳で「元気になる方法」を最後の仕事にしようと志し、リライブシャツの開発に至る。現在リライブウェアシリーズは累計販売枚数300万枚(集計期間:2019年7月1日〜2025年4月30日)を突破、リライブウェアを通じて世界の健康に貢献することを目指している。

プロフィール

山口彦之

空也5代目社長

山口彦之(ヤマグチヒコユキ)さん

1979年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、 株式会社ダイエーに入社。3年のサラリーマン生活を経て、 2006年空也に入社。翌年より東京製菓学校へ通いながら、数年間製造現場で菓子作りを経験。現在は5代目として経営に携わる。2011年には、新業態ブランド『空いろ』をオープン。2015年よりフランスの料理学校ル・コルドンブルー日本校にて和菓子の授業を担当。和菓子文化を盛り上げる為、銀座の仲間と音楽のある空間でお菓子とお酒を愉しむイベント 『アンコマンないと』を主催。これまでに数十社との企業と商品開発、商品のプロデュースを行なっている。

A

人と会うこと自体が学びになる

僕は小学校受験をしていて、そのときが一番勉強したかもしれません。

 

それ以降は、正直なところ学校の勉強が好きなタイプではなかったので、野球部に打ち込んで過ごしてきました。だから勉強について誇れることはないのですが、大人になってから「人と会うこと自体が学びになる」と強く思うようになりました。

 

たとえば、和菓子を新しい切り口で届けようと立ち上げたブランド「空いろ」。この取り組みを始めてから、本当に多くの人と出会うことができました。

 

もし老舗和菓子店の「空也」だけを続けていたら、商売はうまく続いていたとしても、銀座の真ん中で“井の中の蛙”のようになっていたかもしれません。

 

けれど「空いろ」を通じて人とのつながりが広がり、そうした出会いや学びはお金には代えられない、自分にとってのかけがえのない財産になっています。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2023.10.17

プロフィール

山口彦之

空也5代目社長

山口彦之(ヤマグチヒコユキ)さん

1979年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、 株式会社ダイエーに入社。3年のサラリーマン生活を経て、 2006年空也に入社。翌年より東京製菓学校へ通いながら、数年間製造現場で菓子作りを経験。現在は5代目として経営に携わる。2011年には、新業態ブランド『空いろ』をオープン。2015年よりフランスの料理学校ル・コルドンブルー日本校にて和菓子の授業を担当。和菓子文化を盛り上げる為、銀座の仲間と音楽のある空間でお菓子とお酒を愉しむイベント 『アンコマンないと』を主催。これまでに数十社との企業と商品開発、商品のプロデュースを行なっている。

プロフィール

大森美香

脚本家・演出家

大森美香(オオモリミカ)さん

テレビ局勤務、ドラマADを経て深夜ドラマ『美少女H』で脚本家・演出家デビュー。月9『不機嫌なジーン』で向田邦子賞を受賞。NHK連続テレビ小説『あさが来た』で橋田賞を受賞。その他の作品に『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』、『眩(くらら)~北斎の娘~』、大河ドラマ『青天を衝け』、『ひとりでしにたい』、『僕達はまだその星の校則を知らない』など多数。著書に短編小説集『バースデーイヴ』。河出書房新社の文芸誌「スピン/spin」にて明治時代を舞台とした小説「花と葉」を連載中。

A

もし「難しくてもう嫌だ」と思ったら、無理に続けなくてもいいんじゃないかな

気持ちはよくわかります。

 

 

私は国語だけは少し好きでした。難しくなっていくのもそんなに嫌じゃなくて、「次はどんな話だろう?」「もっと知りたい」と思えたんです。

 


でも数学になると、「これ、どこまで難しくなるの?」「やらなきゃダメ?」って気持ちになっていました。

 


やっぱり、得意じゃないものは逃げ出したいほど難しく感じるし、興味があるものは難しくても楽しく感じるんですよね。

 

 

勉強って結局、「自分が何を好きか」「何が得意か」「どんなふうに社会で役立てるか」を見つけるための時間なんだと思います。
だから、“難しくても面白いと思えること、“何が自分に向いているか”を探すための準備期間だと思えばいい。

 

 

ちなみに、私は高校受験のころまでは一生懸命勉強していましたが、高校で数学についていけなくなって「文系で生きていこう」と決めました。

私は決して読書家ではないのですが、大河ドラマの脚本を書くときには200冊以上の本やいろいろな資料を読んで調べ、そのうちに書くよりも調べるほうが楽しくなってしまうほど夢中になりました。

 


幕末から明治時代が舞台のNHK連続テレビ小説を書いた時も、「もっと知りたい」とその時代背景を調べるのに夢中になってしまい、今では同じ時代背景の別の小説まで書き始めてしまいました。そうやって、「勉強って面白い」と感じられるようになったのは大人になってからでした。

 

「難しい」と思いながら、それをずっと楽しめる人もいれば、そうじゃない人もいる。

 


だから、もし「難しくてもう嫌だ」と思ったら、無理に続けなくてもいいんじゃないかな。大切なのは、「自分が楽しいと思えること」を見つけることだと思います。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2023.10.17

プロフィール

大森美香

脚本家・演出家

大森美香(オオモリミカ)さん

テレビ局勤務、ドラマADを経て深夜ドラマ『美少女H』で脚本家・演出家デビュー。月9『不機嫌なジーン』で向田邦子賞を受賞。NHK連続テレビ小説『あさが来た』で橋田賞を受賞。その他の作品に『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』、『眩(くらら)~北斎の娘~』、大河ドラマ『青天を衝け』、『ひとりでしにたい』、『僕達はまだその星の校則を知らない』など多数。著書に短編小説集『バースデーイヴ』。河出書房新社の文芸誌「スピン/spin」にて明治時代を舞台とした小説「花と葉」を連載中。

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