Q&A

Q&A

Q

今までで一番うれしかったことはなんですか?(10歳・男子)

こたえたおとなたち
  • 現役トライアスリート

    稲田弘さん

  • 横手山頂ヒュッテ 初代女将

    高相よしのさん

  • 薬剤師

    幡本圭左さん

プロフィール

稲田弘

現役トライアスリート

稲田弘(イナダヒロシ)さん

1932年、大阪生まれ。子どもの頃は戦争のまっただ中。疎開(戦争などの危険から逃れるために、都会から、より安全な地方へ引っ越すこと)した先では、アメリカ軍の戦闘機に3度も狙われました。
運動が得意な少年だったのかと思いきや、「実はまったくそんなことなくて」。負けず嫌いでもなく、ご本人いわく、「つくづくスポーツとは縁のない人生」だったそうです。
大学では山岳部に入り、卒業後はNHKへ就職。仕事で住む場所が変わっても、近くに山があれば、休みの日にひたすら歩きました。それが「今の自分の体力のもとになっている」と稲田さんは言います。
そして仕事を定年で退職した60歳。なんと、その3日後に水泳を始めます。70歳でトライアスロン(水泳、自転車、ランニングの3種目を続けて行うスポーツ)に挑戦。さらに、水泳3.8km、自転車180km、マラソン42.195km、合計約226kmを決められた時間内にすべてやりきるIRONMANにも挑むようになります。
80歳でIRONMAN世界選手権を初めて完走し、同じ年代の選手の中で世界チャンピオンに。82歳の大会では、ゴール目前で力尽き、しゃがみこむ姿をとらえた一枚の写真が世界中に広がりました。あと少しでゴールだったその姿を見て、世界中の人から応援の声が届きます。
そして85歳。ハワイで行われたIRONMAN世界選手権を16時間53分50秒で完走。世界最高齢の完走者として、ギネス世界記録に認定されました。
「スポーツとは縁のない人生」だった少年が、70歳を過ぎてから世界で活躍するトライアスリートに。そんな稲田さんが大切にしている言葉が、「やればできる」です。
93歳になった今も現役。練習を続けるなかで、新しい体の動かし方を発見することもあるそうです。そんなときは、うれしくなって「やったー!」と叫ぶことも。
記録を持っていても、まだ新しい発見がある。次の挑戦を楽しみながら、稲田さんは今日も体を動かしています。

A

86歳のときに、IRONMANでゴールした瞬間

やっぱり、IRONMAN(水泳3.8km、自転車180km、ランニング42.2kmを続けて行うトライアスロン大会)でゴールしたときですね。

 

 

86歳のときです。このときの記録がギネス世界記録になりました。

 

 

ゴールまでの道には500人を超える人たちが集まっていて、大きな歓声で僕を迎えてくれました。もう、足が震えるほど感動しましたね。

 

 

ゴールしたあと、インタビューで「今、どんな気持ちですか?」って聞かれて、「I’m so happy!」って叫んだくらい(笑)。

 

 

本当にうれしかったんですよね。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2026.10.11

プロフィール

稲田弘

現役トライアスリート

稲田弘(イナダヒロシ)さん

1932年、大阪生まれ。子どもの頃は戦争のまっただ中。疎開(戦争などの危険から逃れるために、都会から、より安全な地方へ引っ越すこと)した先では、アメリカ軍の戦闘機に3度も狙われました。
運動が得意な少年だったのかと思いきや、「実はまったくそんなことなくて」。負けず嫌いでもなく、ご本人いわく、「つくづくスポーツとは縁のない人生」だったそうです。
大学では山岳部に入り、卒業後はNHKへ就職。仕事で住む場所が変わっても、近くに山があれば、休みの日にひたすら歩きました。それが「今の自分の体力のもとになっている」と稲田さんは言います。
そして仕事を定年で退職した60歳。なんと、その3日後に水泳を始めます。70歳でトライアスロン(水泳、自転車、ランニングの3種目を続けて行うスポーツ)に挑戦。さらに、水泳3.8km、自転車180km、マラソン42.195km、合計約226kmを決められた時間内にすべてやりきるIRONMANにも挑むようになります。
80歳でIRONMAN世界選手権を初めて完走し、同じ年代の選手の中で世界チャンピオンに。82歳の大会では、ゴール目前で力尽き、しゃがみこむ姿をとらえた一枚の写真が世界中に広がりました。あと少しでゴールだったその姿を見て、世界中の人から応援の声が届きます。
そして85歳。ハワイで行われたIRONMAN世界選手権を16時間53分50秒で完走。世界最高齢の完走者として、ギネス世界記録に認定されました。
「スポーツとは縁のない人生」だった少年が、70歳を過ぎてから世界で活躍するトライアスリートに。そんな稲田さんが大切にしている言葉が、「やればできる」です。
93歳になった今も現役。練習を続けるなかで、新しい体の動かし方を発見することもあるそうです。そんなときは、うれしくなって「やったー!」と叫ぶことも。
記録を持っていても、まだ新しい発見がある。次の挑戦を楽しみながら、稲田さんは今日も体を動かしています。

プロフィール

高相よしの

横手山頂ヒュッテ 初代女将

高相よしの(タカソウヨシノ)さん

「何かにつけてどなりつける。えへへへ(笑)」
よしのさんは、山小屋のお客さんにもよくどなったそうです。でも、それは山で命を守るため。「そんなことしてたら死んじゃうぞ」と、遭難(山などで道に迷ったり、危険な目にあったりすること)を防ぐための決まりを厳しく教えてきました。
1924年5月4日、8人きょうだいの2番目として生まれたよしのさん。10歳の頃から、工事現場で働く人たちが暮らす「飯場」で、毎日三度の食事を作っていました。15歳で長男を出産し、20歳になるころには3人の子どもの母親に。やがて夫の耕作さんが戦争へ行くと、幼い3人の子どもをひとりで育てました。
戦争から帰った耕作さんと、1952年、長野県の横手山の頂上、標高2307メートルに「横手山頂ヒュッテ」を開きます。何もないところから始めた山小屋で、食事を作り、お客さんを迎え続けてきました。今では「日本一標高の高いパン屋さん」として、多くの人に親しまれています。
現在は孫の育永さん夫妻が3代目。よしのさんが大切にしている言葉は、「働かざるもの食うべからず」。今も山小屋に立ち、「なんかすることないかな」と周りを見渡します。
長い人生のなかでは、大切な家族との別れも何度も経験しました。それでも、ちょっとのことではへこたれません。
小学生のひ孫が学校へ行けなくなったときも、「大丈夫だ、大丈夫だ」と声をかけました。何ができても、できなくても、まずは生きている。それだけで十分。そんなふうにどっしり構えてくれるよしのさんの存在が、家族にとっても救いになっているそうです。
山では厳しく、人生にはおおらかに。
102歳の今も、よしのさんは山の上でお客さんを迎えています。

A

この山に水を引けたこと

この山に水を引けたことが、いちばんうれしかったね。

 

 

昭和27、28年ごろ、この山小屋を作ったころは水がなくて、雨だの雪だので生活していたから。

 

 

それで、自分たちで水を通す管をつないで、水を引いたんだ。でも冬になると、途中でみんな凍っちゃうから大変だったね。

 

 

ほら、あっちの木の枝、見てみな。鳥だか、お猿だか、何かが座ってるように見えるでしょ? 山はねえ、そういうところが面白い。

 

 

そうかと思うと、急に天気が崩れてくる。

 

 

朝のうち「いい天気だなあ」って喜んでいても、10時くらいには霧がかかって、すぐ目の前も見えなくなる。そうすると道がわからなくなって、遭難(山などで道に迷ったり、危険な目にあったりすること)する人が出てくるわけ。

 

 

遭難すると、助けに行く人たちがこの山小屋に集まるんだけど、腹が減ってたら助けに行かれん。

 

 

だから、「おにぎり食べてけ!」って、あわててご飯を炊いて、おにぎりを食べさせるんだ。

 

 

遭難している人が腹減ってるのはしかたないけど、助けに行く人が腹減ってたら、助けてあげられん(笑)。

 

 

あるとき、小屋の前で道に迷ってる人がいたから、「おっさん、何してんだ」って聞いたら、「俺、スキーできねえんだ」って。

 

 

「できねえかったら、なんで登ってきたんだ」って聞いたら、「誰かが遭難してるって聞いたから、俺も登ってきたんだ」って。

 

 

その人、おまわりさんだった(笑)。

 

 

「腹ごしらえしなけりゃだめじゃねえか」って、逆に怒っちゃった。

 

 

そしたら後日、「ちょっと警察署へ来い!」って呼ばれてね。

「怒られるのかな」と思って行ったら、感謝状をくれたんだ。

「このおばさんに脅かされました」って言われてね(笑)。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2026.10.11

プロフィール

高相よしの

横手山頂ヒュッテ 初代女将

高相よしの(タカソウヨシノ)さん

「何かにつけてどなりつける。えへへへ(笑)」
よしのさんは、山小屋のお客さんにもよくどなったそうです。でも、それは山で命を守るため。「そんなことしてたら死んじゃうぞ」と、遭難(山などで道に迷ったり、危険な目にあったりすること)を防ぐための決まりを厳しく教えてきました。
1924年5月4日、8人きょうだいの2番目として生まれたよしのさん。10歳の頃から、工事現場で働く人たちが暮らす「飯場」で、毎日三度の食事を作っていました。15歳で長男を出産し、20歳になるころには3人の子どもの母親に。やがて夫の耕作さんが戦争へ行くと、幼い3人の子どもをひとりで育てました。
戦争から帰った耕作さんと、1952年、長野県の横手山の頂上、標高2307メートルに「横手山頂ヒュッテ」を開きます。何もないところから始めた山小屋で、食事を作り、お客さんを迎え続けてきました。今では「日本一標高の高いパン屋さん」として、多くの人に親しまれています。
現在は孫の育永さん夫妻が3代目。よしのさんが大切にしている言葉は、「働かざるもの食うべからず」。今も山小屋に立ち、「なんかすることないかな」と周りを見渡します。
長い人生のなかでは、大切な家族との別れも何度も経験しました。それでも、ちょっとのことではへこたれません。
小学生のひ孫が学校へ行けなくなったときも、「大丈夫だ、大丈夫だ」と声をかけました。何ができても、できなくても、まずは生きている。それだけで十分。そんなふうにどっしり構えてくれるよしのさんの存在が、家族にとっても救いになっているそうです。
山では厳しく、人生にはおおらかに。
102歳の今も、よしのさんは山の上でお客さんを迎えています。

プロフィール

幡本圭左

薬剤師

幡本圭左(ハタモトケサ)さん

「大切なその時々で、私は本当に人に助けられているの」
103歳の幡本さんが人生を振り返ると、不思議なくらい、必要なときに必要な人との出会いがあったといいます。
1922年、長野県生まれ。もともとは小学校の先生になりたかったそうですが、「これからの時代、女性も手に職を」という父親のすすめで薬剤師の道へ。東京薬学専門学校女子部(現在の東京薬科大学)を卒業し、戦争中は軍需工場(戦争で使うものをつくる工場)の研究室で働きました。
結婚後の1952年、30歳で東京・目黒に「安全薬局」を開きます。これから何を学ぼうかと迷っていたときには、「これからは漢方よ」と教えてくれる人が現れました。
年下の友人に「あなたはダメね」と言われても、「本当にダメなんだから腹が立たない(笑)」。人から何か言われたときも、まずは素直に聞いてみる。そんなふうにして、103年を歩んできました。
もちろん、長い人生には大変なこともありました。でも、起きてしまったことは仕方ない。「あわてない、急がない」が、幡本さんのモットーです。
もうひとつ、大切にしている言葉があります。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)、これを父母に受く」。
中国の昔の本『孝経』にある言葉で、「自分の体は、すべて親からもらった大切なもの」という意味です。
2022年には、世界最高齢の薬剤師としてギネス世界記録に認定されました。
「海外の方が取材にやってきたりして、とても気恥ずかしいです」
そんなふうに笑う幡本さんは、103歳の今も「安全薬局」に立つ現役の薬剤師。お客さんと顔を合わせ、いろいろな話をするのが、今も楽しみなのだそうです。

A

「おかげさまで」って言ってくださるのは、本当にうれしいですね。

私の場合はね、お客様から、「おかげさまで、これを飲んだら体調がすごくよくなりました」とか、「治りました」って言っていただけたときなの。

 

 

「今日はもう、お店を閉めちゃってもいいわ」って思うくらいうれしい(笑)。

 

 

うちのお店は宣伝も何もしませんから、人様の紹介で来てくださったり、「どうしてもあなたのところから買いたい」って言ってくださったり。40年以上のお付き合いの方もいらっしゃいます。ご主人が亡くなられたあと、今度は奥様が来てくださることもあります。

 

 

「おかげさまで」って言ってくださるのは、本当にうれしいですね。

 

 

だって、お金もいただいて、その上「ありがとう」って言っていただけるんですよ。

 

 

私は、お客様にしてあげたことより、いただいたもののほうが、ずっと多いんじゃないかな。

 

 

だから、こうして今日まで続けてこられたんでしょうね。

 

 

本当にありがたいです。

取材・文/Questionary編集部

Q&A / 2026.10.11

プロフィール

幡本圭左

薬剤師

幡本圭左(ハタモトケサ)さん

「大切なその時々で、私は本当に人に助けられているの」
103歳の幡本さんが人生を振り返ると、不思議なくらい、必要なときに必要な人との出会いがあったといいます。
1922年、長野県生まれ。もともとは小学校の先生になりたかったそうですが、「これからの時代、女性も手に職を」という父親のすすめで薬剤師の道へ。東京薬学専門学校女子部(現在の東京薬科大学)を卒業し、戦争中は軍需工場(戦争で使うものをつくる工場)の研究室で働きました。
結婚後の1952年、30歳で東京・目黒に「安全薬局」を開きます。これから何を学ぼうかと迷っていたときには、「これからは漢方よ」と教えてくれる人が現れました。
年下の友人に「あなたはダメね」と言われても、「本当にダメなんだから腹が立たない(笑)」。人から何か言われたときも、まずは素直に聞いてみる。そんなふうにして、103年を歩んできました。
もちろん、長い人生には大変なこともありました。でも、起きてしまったことは仕方ない。「あわてない、急がない」が、幡本さんのモットーです。
もうひとつ、大切にしている言葉があります。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)、これを父母に受く」。
中国の昔の本『孝経』にある言葉で、「自分の体は、すべて親からもらった大切なもの」という意味です。
2022年には、世界最高齢の薬剤師としてギネス世界記録に認定されました。
「海外の方が取材にやってきたりして、とても気恥ずかしいです」
そんなふうに笑う幡本さんは、103歳の今も「安全薬局」に立つ現役の薬剤師。お客さんと顔を合わせ、いろいろな話をするのが、今も楽しみなのだそうです。

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