孫にプレゼントするよ。だって、もう使い道がないもの。
着るものもなんにもいらないよ。もらったものは、みんなあげちゃう。
食べるものだって、お豆腐があればたくさんだよ。
あ、明日、歯医者に行くの。
今、歯が11本残ってるんだけどね、上に9本、下に2本、それで、ここの歯がぽろんと落ちちゃったの(笑)。
お医者さんもびっくりしてたよ。「よく残ってますね」って。
毎日ずっと食べてるのは、たまごボーロ。夜、口さみしくなるからね。
おせんべいは、お医者さんがダメって言うんだよ。
塩分もあるし、硬いから。
今、1億円もらったらどうしますか?(10歳・男子)

左官
堀江弥太郎さん

「そんなこと聞かれても困っちゃうよ!」
そう言いながら、ユーモアたっぷりに、笑顔で子どもたちの質問に答えてくれる堀江さん。
1921年7月12日、東京生まれ。子どもの頃は、近所の子どもたちを引き連れて遊ぶガキ大将でした。中学校を卒業すると、左官(さかん。こてを使って、建物の壁や床などをきれいに塗る仕事)の道へ。それから80年以上、その技を磨き続けています。
21歳のとき、兵士として中国北部へ。24歳で戦争が終わると、当時のソ連のシベリアへ連れていかれ、4年間を過ごしました。
マイナス30度、40度にもなる寒さと、食べるものも十分にない暮らし。そこで堀江さんを助けたのが、左官の腕でした。大勢の日本人のなかで、左官ができる人はわずか3人。建物の壁や暖炉などをつくる仕事を任され、ときには貴重な白いパンをもらうことも。ほかの人より少しだけ、いいものを食べることができたそうです。
「だから俺は“シベリア貴族”になっちゃった(笑)」
日本へ帰ってからも、左官ひと筋。高い技術が認められ、2008年、87歳で、厚生労働省からすぐれた職人に贈られる「現代の名工」に選ばれました。その後、2012年に91歳で黄綬褒章も受章しています。
左官の道具「こて」で絵や模様をつくる鏝絵(こてえ)にも取り組み、自分で考えた方法や材料で、たくさんの作品を生み出してきました。
105歳の今も、自宅のアトリエで作品づくりを続けています。「人にあげるのがうれしい」と堀江さん。
そして取材が終わると、大好きなおせんべいをボリボリ。
そんな堀江さんの口ぐせは、「元気ですか?」。
「俺も元気だ。あなたも元気だ。それで十分なんだ」

A
孫にプレゼントするよ。だって、もう使い道がないもの。
孫にプレゼントするよ。だって、もう使い道がないもの。
着るものもなんにもいらないよ。もらったものは、みんなあげちゃう。
食べるものだって、お豆腐があればたくさんだよ。
あ、明日、歯医者に行くの。
今、歯が11本残ってるんだけどね、上に9本、下に2本、それで、ここの歯がぽろんと落ちちゃったの(笑)。
お医者さんもびっくりしてたよ。「よく残ってますね」って。
毎日ずっと食べてるのは、たまごボーロ。夜、口さみしくなるからね。
おせんべいは、お医者さんがダメって言うんだよ。
塩分もあるし、硬いから。
取材・文/Questionary編集部

「そんなこと聞かれても困っちゃうよ!」
そう言いながら、ユーモアたっぷりに、笑顔で子どもたちの質問に答えてくれる堀江さん。
1921年7月12日、東京生まれ。子どもの頃は、近所の子どもたちを引き連れて遊ぶガキ大将でした。中学校を卒業すると、左官(さかん。こてを使って、建物の壁や床などをきれいに塗る仕事)の道へ。それから80年以上、その技を磨き続けています。
21歳のとき、兵士として中国北部へ。24歳で戦争が終わると、当時のソ連のシベリアへ連れていかれ、4年間を過ごしました。
マイナス30度、40度にもなる寒さと、食べるものも十分にない暮らし。そこで堀江さんを助けたのが、左官の腕でした。大勢の日本人のなかで、左官ができる人はわずか3人。建物の壁や暖炉などをつくる仕事を任され、ときには貴重な白いパンをもらうことも。ほかの人より少しだけ、いいものを食べることができたそうです。
「だから俺は“シベリア貴族”になっちゃった(笑)」
日本へ帰ってからも、左官ひと筋。高い技術が認められ、2008年、87歳で、厚生労働省からすぐれた職人に贈られる「現代の名工」に選ばれました。その後、2012年に91歳で黄綬褒章も受章しています。
左官の道具「こて」で絵や模様をつくる鏝絵(こてえ)にも取り組み、自分で考えた方法や材料で、たくさんの作品を生み出してきました。
105歳の今も、自宅のアトリエで作品づくりを続けています。「人にあげるのがうれしい」と堀江さん。
そして取材が終わると、大好きなおせんべいをボリボリ。
そんな堀江さんの口ぐせは、「元気ですか?」。
「俺も元気だ。あなたも元気だ。それで十分なんだ」