
友だちができないと思ったときも、あせらなくて大丈夫。時間がかかることもあります。 友だちは宝ですから、スポーツでもなんでも、自分が興味を持ったことをやってみると、きっと友だちは増えると思いますよ。
どうやったら友だちがたくさんできるの?(小1・男子)

日本語教育専門家・実践家
嶋田和子さん
『奇跡のリンゴ』農家
木村秋則さん
登山家
渡邊直子さん
元郵便局員・『41歳の東大生』著者
小川和人さん
ドキュメンタリー監督
山崎エマさん
詩人
伊藤比呂美さん
サッカー元日本代表
中村憲剛さん
『私は93歳の新聞記者』著者
涌井友子さん
元JICA海外協力隊
三國由菜さん
ミュージシャン
TOSHI-LOWさん
映画監督
是枝裕和さん
お笑い芸人
横澤夏子さん
ラッパー
般若さん
浪曲曲師(三味線奏者)
玉川祐子さん
ITエヴァンジェリスト
若宮正子さん
本多劇場グループ代表・俳優
本多一夫さん

昭和21年東京都生まれ。津田塾大学英文科卒業。外資系銀行に就職後、専業主婦を経て日本語教師となる。平成2年から国際青年交流学園イーストウエスト日本語学校に勤務。副校長まで務めた後退職。現在はアクラス日本語教育研究所代表理事、日本語教育学会監事、杉並区交流協会評議員および日本語教室統括コーディネーターなどに携わっている。著書『外国にルーツを持つ女性たち』(ココ出版)は、日本人と結婚した外国人女性たちの、文化の違いをパワフルに、前向きに乗り越えていくノンフィクション。『できる日本語』シリーズは、新しい日本語教育を目指して作成された教科書。

A
相手のことをわかろうとすること

友だちができないと思ったときも、あせらなくて大丈夫。時間がかかることもあります。 友だちは宝ですから、スポーツでもなんでも、自分が興味を持ったことをやってみると、きっと友だちは増えると思いますよ。
取材・文/Questionary編集部

昭和21年東京都生まれ。津田塾大学英文科卒業。外資系銀行に就職後、専業主婦を経て日本語教師となる。平成2年から国際青年交流学園イーストウエスト日本語学校に勤務。副校長まで務めた後退職。現在はアクラス日本語教育研究所代表理事、日本語教育学会監事、杉並区交流協会評議員および日本語教室統括コーディネーターなどに携わっている。著書『外国にルーツを持つ女性たち』(ココ出版)は、日本人と結婚した外国人女性たちの、文化の違いをパワフルに、前向きに乗り越えていくノンフィクション。『できる日本語』シリーズは、新しい日本語教育を目指して作成された教科書。

1949年、青森県中津軽郡岩木町で農家の次男坊として生まれる。木村さんのリンゴの無農薬栽培への挑戦と成功を記録した本『奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』が大ヒットし、以降世界中からたくさんの人々が木村さんの知恵を借りるため、木村さんの元を訪れる。今も変わらず自然の中で畑仕事に精を出す日々。

A
自分から飛びこめばいい
今私、障害のある人たちが自立できるように、農業を通して支援活動をやってるんですけれども、最初はなかなかまわりになじめない子どもたちがいます。でも、一緒に作業をしていくうちに、カベがとれて仲間になっているんです。
だから自分から飛びこめばいいんですよ。
取材・文/Questionary編集部

1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。看護師として働きながら、14座ある標高8000M超の山々に挑み、2024年10月に日本人女性で初めて14座すべてを登頂。現在は「子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と、みずからヒマラヤ・トレッキングを企画している。

A
たくさん作らなくていいです
私の親友に、ヒマラヤで出会ったシンガポール人のおじさんがいます。彼は私に興味を持って接してくれて、たとえ喧嘩したり、私が言いたいことを全部言ったりしても、嫌いにならず受け止めてくれるし、私のいいところもダメなところもわかってくれている。それと、エベレストを登れたのは彼のおかげなんです。エベレストの頂上に登る道って、みんな無風の晴れの日に登ろうとするから渋滞します。待ってるあいだ酸素も無くなっていくし、結構大変なんです。だけど、彼が「直子は強いから、少し風が強いけど前の日に一緒に行かない?」と誘ってくれて。それで登頂できたので、自信にもなりました。
自分のことを深く理解してくれる人がひとりいるだけで十分だと思います。
取材・文/Questionary編集部

1956年、千葉県市川市生まれ。1980年、明治学院大学社会学部卒業。証券会社勤務、学習塾講師、教材制作会社勤務を経て、1988年、江戸川郵便局集配課(現日本郵便株式会社)に勤務。1997年、41歳で東京大学に入学し、2001年に卒業。郵便局で働きながら東京大学を受験、合格し、4年間通ったその経験をまとめた著書『41歳の東大生』(草思社)が話題に。2016年に日本郵便株式会社を定年退職。家族は妻と息子ふたり、孫ひとり。

A
自分が輝けば、しぜんと人が集まってくる
まずは友だちを作ることなんて考えないで、自分が好きなことに集中して取り組んだらどうかな。そこで自分が輝けば、しぜんと人が集まってくると思う。だから、まずは自分が輝こう。自分を好きになって、自分で自分の友だちになろう。そうすれば、きっとたくさん友だちができる。ぼくはそう思う。
そもそも本当の友だちってなんだろう。
ぼくは、自分がつらいときに、何も言わないでも離れないでいてくれるのが本当の友だちだと思う。
ぼくは大学時代を共に過ごした、20歳のときからのつきあいの友だちがひとりいる。ぼくは、大学を卒業した24歳から郵便局に入る32歳までのあいだに、体調をくずして3回仕事を変えている。そんなとき、彼は何も言わずに、いつもと変わらずそばにいてくれて、ぼくの話を黙ってきいていてくれた。何も変わらなかった。そして、深いところでぼくを信用してくれているのがわかった。本当の友だちって、そういうことだと思う。
取材・文/Questionary編集部

神戸生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。大阪の小学校に通い、神戸のインターナショナルスクールを卒業後に渡米。ニューヨーク大学映画制作学部で映画を学ぶ。代表作に『モンキービジネス: おさるのジョージ著者の大冒険』(2017年ロサンゼルス映画祭でワールドプレミア。日本で2018年劇場公開)『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(2019年にアメリカ最高峰のドキュメンタリー映画祭DOC NYCでワールドプレミア。2020年米スポーツチャンネルESPNで放送、日本で劇場公開)。現在公開中の『小学校〜それは小さな社会〜』の舞台は、世田谷区立塚戸小学校。生徒たちの1年間の様子を撮影し、日本の学校ならではの習慣をナチュラルにとらえた映像は、フィンランドやドイツなどでもロングランヒットを記録している。小学校教育で「日本人」がつくられることがよくわかる作品。

A
「何してるの?」って聞いてみる
大人になってもそうですけど、相手のことを考えると友達が増える気がします。
逆に、自分のことばかり考えていると、友達はできないんじゃないかな。
だから、まずは相手に興味を持って「何してるの?」って聞いてみて。
取材・文/Questionary編集部

神戸生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。大阪の小学校に通い、神戸のインターナショナルスクールを卒業後に渡米。ニューヨーク大学映画制作学部で映画を学ぶ。代表作に『モンキービジネス: おさるのジョージ著者の大冒険』(2017年ロサンゼルス映画祭でワールドプレミア。日本で2018年劇場公開)『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(2019年にアメリカ最高峰のドキュメンタリー映画祭DOC NYCでワールドプレミア。2020年米スポーツチャンネルESPNで放送、日本で劇場公開)。現在公開中の『小学校〜それは小さな社会〜』の舞台は、世田谷区立塚戸小学校。生徒たちの1年間の様子を撮影し、日本の学校ならではの習慣をナチュラルにとらえた映像は、フィンランドやドイツなどでもロングランヒットを記録している。小学校教育で「日本人」がつくられることがよくわかる作品。

1955年東京都生まれ。78年に『草木の空』でデビュー、80年代の女性詩ブームを牽引。結婚、出産を経て97年に渡米。詩作のほか小説、エッセイ、人生相談など幅広い創作活動を行っている。『河原荒草』で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞したほか、『道行きや』(新潮社)、『いつか死ぬ、それでも生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)、『対談集 ららら星のかなた』(谷川俊太郎氏との共著)など著書多数。

A
クラスの中ではものすごく孤立していました
逆に、友達はたくさん作らなくちゃいけないですか?
私は、友達はあまりいなかったんです。
小学校5年生のとき、清水先生という担任がいました。
今でいうADHDやASDといった特性を持った子どもたちをクラスで積極的に受け入れ、教えていました。
私は体が大きく、成績もよかったので、先生には評価されていましたが、クラスの中ではものすごく孤立していました。
そんなとき、先生は「伊藤、頼むな」と言って、クラスでいろいろなことをみんなと同じようにできない子をいつも私のパートナーにしたんです。
そのうちのひとりで、とくに仲良しになった子がいました。
その子はなんでもできる優等生でしたが、後になって知ったのは、彼女が登校拒否をしていたということ。
私はそんなこととは知らず、ただ一緒に遊んでいただけでした。
今思えば、先生は私を助けようとしていたのかもしれません。 私がひとりぼっちだということ、でも実は誰とでも仲良くなれる力があることを、先生は見抜いていたんでしょうね。
だから、たくさんではないけれど、大切な友達ができて楽しかったです。
大人になってからも、親友と思える人ができることはあります。 でも、10年一緒に過ごして、次の10年は会わないこともある。 そして、また再びつながることもある。
でも、それでいいんじゃないかなと思っています。
取材・文/Questionary編集部

1955年東京都生まれ。78年に『草木の空』でデビュー、80年代の女性詩ブームを牽引。結婚、出産を経て97年に渡米。詩作のほか小説、エッセイ、人生相談など幅広い創作活動を行っている。『河原荒草』で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞したほか、『道行きや』(新潮社)、『いつか死ぬ、それでも生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)、『対談集 ららら星のかなた』(谷川俊太郎氏との共著)など著書多数。

1980年10月31日生まれ。中央大学卒業後、2003年に川崎フロンターレに加入し、同年Jリーグ初出場。以降、現役生活18年をすべて川崎で過ごし、Jリーグ通算546試合出場83得点を記録。司令塔として3度のJ1優勝に貢献し、Jリーグベストイレブンに8度選出、2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表では68試合出場6得点。2010年南アフリカ・ワールドカップ出場。2020年に現役を引退。以降、川崎フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)やJFAロールモデルコーチ、解説業など、幅広い分野で活躍中。

A
相手の話をしっかり聞くこと
初めての人と接した時、僕は自分からあまりペラペラしゃべらないようにしていました。
もちろん自分の主張はするけど、どちらかというと話を聞く側でした。
小学生の頃って、自分の思ったことを一方的に伝えがちじゃないですか。
でも、コミュニケーションはお互いが話して初めて成立するもの。
だから、まわりに人が集まる子や友だちが多い子は、きっと相手の話をしっかり聞ける子なんだと思います。
取材・文/Questionary編集部

1931年、静岡県生まれ。終戦後、鉄道会社での勤務を経て、1958年に結婚。1974年に夫婦で中野区の地域新聞『週刊とうきょう』を創刊。1982年に夫が他界後も発行し続けている。ボランティア団体『夢のかけ橋』に所属し、地域の子どもたちを見守りながら世代間の交流も深める。2024年に『週刊とうきょう』は創刊50周年を迎えた。著書に『私は93歳の新聞記者』(草思社)。

A
私が心がけているのは「人間関係は腹八分」
女学校(現在の中学校)の友達や昔の会社の友達など、今も手紙のやりとりをしている人たちがいます。
私は本当に友達に恵まれたと思ってます。
でも、友達だからって、何もかも知っているというわけではありません。
私が心がけているのは「人間関係は腹八分」。
詳しいことは聞き出さない。
もちろん、つらいことがあったときは、その人の身になって励ますけれど、あまり深入りはしません。
「親しき仲にも礼儀あり」ではないけれど、やっぱり一歩引いているほうが、友達関係は長続きします。
取材・文/Questionary編集部

1931年、静岡県生まれ。終戦後、鉄道会社での勤務を経て、1958年に結婚。1974年に夫婦で中野区の地域新聞『週刊とうきょう』を創刊。1982年に夫が他界後も発行し続けている。ボランティア団体『夢のかけ橋』に所属し、地域の子どもたちを見守りながら世代間の交流も深める。2024年に『週刊とうきょう』は創刊50周年を迎えた。著書に『私は93歳の新聞記者』(草思社)。

A
元気にあいさつをすること・笑顔で接すること
友だちがいると、どんないいことがありますか?
困っているときに助けてくれたり、相談にのってくれたり、たくさんいると楽しい時間を過ごすことができますよね。
私が思う、友だちをたくさん作る方法は、元気にあいさつをすること・笑顔で接すること、です。
私が、ボランティアとして外国に行ったとき、はじめのうちは、ひとりで友だちもいませんでした。言葉もむずかしく、あまり人と上手にしゃべることもできなかったんです。
でも、毎日、笑顔で会う人にあいさつをしていると、だんだんと会話が増えて、話してくれるようになり、いつのまにか友だちができていました。「笑顔」は世界共通で、言葉を超えて人と人をつなぐ魔法のようなものです。相手に自然と良い印象を与えることができます。
また、その国で使われている言葉を学ぶこと、国の文化・マナーを尊重することも友だちを作るきっかけになると思います。
自分が相手の文化や考え方を理解しようとすると、相手も同じように自分のことを理解しようとしてくれます。
会話の中で相手と共通のもの・反対に相手との違いを見つけて話をすれば、友だちの数だけではなく、深い友情を築くことができるのではないでしょうか。
取材・文/Questionary編集部

1974年、茨城県生まれ。1995年にBRAHMANを結成。2025年に活動30周年を迎え、7年ぶりの待望のニューアルバム『viraha』をリリース。またアコースティックバンドOAUのヴォーカル&ブズーキ、細美武士氏とのバンドthe LOW-ATUSとしても活躍。キャンプや自然体験をしながら音楽も楽しめるイベントNew Acoustic Camp(通称「ニューアコ」)およびその姉妹イベント ACO CHiLL CAMP(「あこちる」)のオーガナイザーも務める。NPO法人「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」代表。

A
まずは元気にあいさつをしてみよう
まずは、あいさつをしてみればいいんじゃないかな。
友達って本当にさまざまで、昼に会う友達もいれば、夜にしか会わない友達もいるし、好きなことが同じ友達もいれば、嫌いなことが同じ友達もいる。
おなかの中にも良い菌や悪い菌がいるみたいに、良い友達もいれば、ちょっと困った友達もいる。そういういろいろな友達が、少しずつ自分という世界を形づくっていくんだと思う。
だからこそ、はじめの一歩が大切。
世界中の言葉に「あいさつ」があるのは、その一歩をふみ出すためなんだと思う。
もし仲良くなりたい人がいたら、まずは元気にあいさつをしてみよう。
取材・文/Questionary編集部

1962年東京都生まれ。1995年に映画『幻の光』で長編監督デビュー。2018年公開の『万引き家族』では、カンヌ国際映画祭 において最高賞のパルムドールを受賞。2019年の『真実』では海外キャスト・スタッフとの本格的な映画制作に挑戦。2022年には初の韓国映画『ベイビー・ブローカー』で、第75回カンヌ国際映画祭のエキュメニカル審査員賞を受賞。さらに2023年の『怪物』は、第76回カンヌ国際映画祭 で脚本賞(坂元裕二氏)とクイア・パルム賞のダブル受賞を果たすなど、世界的にも高い評価を受けている。家族や人間関係を繊細に描く作品で知られ、現在は、綾瀬はるかさんと大悟さん(千鳥)が出演する最新作『箱の中の羊』が公開中。息子を亡くした夫婦が、息子の姿をしたヒューマノイドと暮らしながら、「家族とは何か」を問い直していく物語。

A
本の中にも友達はいるし、実際に目の前にいなくても、心が通じる相手はいる
友達は、そんなにたくさんいなくてもいいんじゃないですかね。僕は、友達の数を自慢する人ほどあんまり信用できないと思っています。そうやって、自分の友達の少なさを慰めてきたところもありますけどね(笑)。
それに友達との出会い方はいろいろありますから。本の中にも友達はいるし、実際に目の前にいなくても、心が通じる相手はいると思います。
ちなみに僕は、友達になるかどうかは「好きなものが同じか」より、「嫌だと思うことが同じか」のほうが大事な気がしています。
映画『怪物』にも、そんなことを考えさせられる場面があります。
ほくろのある女の子をからかおうとして、クラスの友だちが主人公に「黒田さんの黒豆って言えよ」と言う場面があります。でも主人公は、「思ってないから言えないよ」と返すんです。
好きなものは人それぞれ違っていていい。でも、「人を傷つけるのは嫌だ」とか、「誰かをばかにするのは違う」とか、そういう許せないことが似ている人とは、きっと友達になれます。
取材・文/Questionary編集部

1962年東京都生まれ。1995年に映画『幻の光』で長編監督デビュー。2018年公開の『万引き家族』では、カンヌ国際映画祭 において最高賞のパルムドールを受賞。2019年の『真実』では海外キャスト・スタッフとの本格的な映画制作に挑戦。2022年には初の韓国映画『ベイビー・ブローカー』で、第75回カンヌ国際映画祭のエキュメニカル審査員賞を受賞。さらに2023年の『怪物』は、第76回カンヌ国際映画祭 で脚本賞(坂元裕二氏)とクイア・パルム賞のダブル受賞を果たすなど、世界的にも高い評価を受けている。家族や人間関係を繊細に描く作品で知られ、現在は、綾瀬はるかさんと大悟さん(千鳥)が出演する最新作『箱の中の羊』が公開中。息子を亡くした夫婦が、息子の姿をしたヒューマノイドと暮らしながら、「家族とは何か」を問い直していく物語。

1990年生まれ、新潟県出身のピン芸人。『R-1ぐらんぷり』では2016年から2年連続で決勝進出を果たす。『女芸人No.1決定戦 THE W』では2018年に準優勝。さらに2023年冬に開催された『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』では優勝を飾った。プライベートでは2017年に一般男性と結婚し、三児の母。『夫が寝たあとに』(テレビ朝日)では、藤本美貴とダブルMCを務めている。NHK朝の連続ドラマ小説『風、薫る』にも出演中。また、三姉妹の母として奮闘する日々をつづった子育てエッセイ『ドタバタ子育て大作戦 三姉妹のれんらくちょう』(オレンジページ)では、喜びや戸惑い、紆余曲折も含めたリアルな毎日が率直に描かれている。

A
一番良い方法は、大きい声であいさつすること
「たくさん友達がほしい」というのは、「いろんな人としゃべりたい」「人に興味がある」ということだから、すごくいい目標だなって思います。
私も小さい頃は、そういうタイプでした。自分の教室は一階なのに、わざわざ三階まで行って、「バイバイ!」ってみんなに言って帰る、みたいな(笑)。
だから、この質問をしてくれたあなたも、きっとオープンマインドなんだろうなって思います。社会に出てからもうまくやっていけそうで、すごく頼もしいなって。
私は今、ママ友をたくさんつくりたいと思っています。でも、初対面から始まるから、「この人、どんなことを考えているんだろう」「私ってどういうキャラだったっけ?」って考えたりして、友達になるって簡単じゃないですよね。
でも、一番良い方法は、大きい声であいさつすることだって気づいたんです。
「あの子、明るそうだな」「元気だな」「そういえば、いつもあいさつしてくれるな」って思ってもらえると、さらに大きい声のママ友がお茶にさそってくれたりして(笑)。
もちろん、大きい声が苦手な人もいます。そのときは、「この人は大きい声が苦手なんだな」って思って、小さい声で話せばいい。
たくさん友達をつくるための基本は、やっぱり大きい声であいさつすることだと思います。
取材・文/Questionary編集部

1990年生まれ、新潟県出身のピン芸人。『R-1ぐらんぷり』では2016年から2年連続で決勝進出を果たす。『女芸人No.1決定戦 THE W』では2018年に準優勝。さらに2023年冬に開催された『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』では優勝を飾った。プライベートでは2017年に一般男性と結婚し、三児の母。『夫が寝たあとに』(テレビ朝日)では、藤本美貴とダブルMCを務めている。NHK朝の連続ドラマ小説『風、薫る』にも出演中。また、三姉妹の母として奮闘する日々をつづった子育てエッセイ『ドタバタ子育て大作戦 三姉妹のれんらくちょう』(オレンジページ)では、喜びや戸惑い、紆余曲折も含めたリアルな毎日が率直に描かれている。

1978年生まれ。95年から活動を開始し、俳優としても活躍の場を拡げる。2019年に日本武道館でのワンマンライブを開催。2024年8月14日に開催されたMCバトル大会「BATTLE SUMMIT Ⅱ」で優勝し、その優勝賞金2000万円の全額を子どもたちのために寄付すると宣言。その全額を投じて水に困っているカンボジアの地に井戸を掘った。その一部始終を綴った著書『般若、井戸を掘る』(流星舎刊)は、「HIPHOP の核にあるのは『助け合い』である」という冒頭の言葉から始まり、「もし闘うのなら次世代の担う子どもたちのために、弱い人たちのために闘いたい」というメッセージは深く心に残る。般若というひとりの人間の嘘のない生き方と、それを貫くために負ってきた数々の傷に、どこかで必ず共感と感銘を覚えずにはいられない一冊。現在、通算16枚目のニューアルバム『2000%HIPHOP』が好評発売中。全国ツアー「般若 2000%HIPHOP LIVE TOUR 2026」が8月30日(仙台)から10月24日(東京・LINE CUBE SHIBUYA)まで全国5都市で開催。

A
友だちはつくるものじゃなくてできるもの
友だちはつくるものじゃなくてできるものだから。だから、つくるためにそんなに力入れなくていいよ。
自分の良いところばかり言ってくれる人より、自分の悪いところをちゃんと言ってくれる人と友だちになったりするしね。
オレも、ケンカした後に仲直りして友だちになったことがある。
大切なのは、自分が「こいつは友だちだ」って思える人がピンチのときに、助けてあげられるかどうか。その友だちのためなら、自分が少しくらい損をしてもいいと思えるかどうか。かな。
取材・文/Questionary編集部

1978年生まれ。95年から活動を開始し、俳優としても活躍の場を拡げる。2019年に日本武道館でのワンマンライブを開催。2024年8月14日に開催されたMCバトル大会「BATTLE SUMMIT Ⅱ」で優勝し、その優勝賞金2000万円の全額を子どもたちのために寄付すると宣言。その全額を投じて水に困っているカンボジアの地に井戸を掘った。その一部始終を綴った著書『般若、井戸を掘る』(流星舎刊)は、「HIPHOP の核にあるのは『助け合い』である」という冒頭の言葉から始まり、「もし闘うのなら次世代の担う子どもたちのために、弱い人たちのために闘いたい」というメッセージは深く心に残る。般若というひとりの人間の嘘のない生き方と、それを貫くために負ってきた数々の傷に、どこかで必ず共感と感銘を覚えずにはいられない一冊。現在、通算16枚目のニューアルバム『2000%HIPHOP』が好評発売中。全国ツアー「般若 2000%HIPHOP LIVE TOUR 2026」が8月30日(仙台)から10月24日(東京・LINE CUBE SHIBUYA)まで全国5都市で開催。

とにかく声が大きい。そして、よく笑う。100歳を超えていることをつい忘れてしまう。祐子さんと話していると、こちらまで元気になってきます。
1922年生まれ。子どもの頃、家はとても貧しく、小学校を卒業すると呉服店へ奉公(店や家に住み込みなどで働き、仕事を覚えること)に出された祐子さん。そこで、となりのレコード屋から聞こえてきた浪曲(三味線に合わせて、物語を節をつけて語る日本の芸能)に夢中になります。
「浪曲師になりたい」。父親に「6人きょうだいなんだから、一人死んだと思って東京へやってよ」と頼みこみ、18歳のときにひとり東京へ。ところが、頼ったいとこには、「おまえみたいのが浪花節になれるわけねえ」と笑われます。
それでもあきらめず、浅草へ。住みこみで修業を始め、そのまま浪曲の世界を歩み続けました。
「100年生きて、いちばん笑ったことは?」と聞くと、「いつもにこやかで笑ってるよ! 私はね、根が“陽”なんですよ」。住みこんだ先々でも、その明るい性格で近所の人たちにかわいがられたそうです。
やがて戦争が激しくなり、東京では空襲も経験します。戦争が終わったあとも浪曲の世界で、曲師として三味線を弾き続けてきました。
貧乏も、奉公も、修業も、戦争も、二度の結婚も――100年以上生きれば、そりゃあ、いろいろあります。それでも祐子さんの口から出てきたのは、
「後悔したことはないなあ。マジな話」。
103歳の今も、現役の曲師として舞台に立っています。
三味線を弾いて、しゃべって、笑う。今日も祐子さんの大きな声が響きます。

A
あのね、べつに、自然だよ。ごく自然。
あのね、べつに、自然だよ。ごく自然。
無理しない。
今はもう友だちいらないよ!
取材・文/Questionary編集部

とにかく声が大きい。そして、よく笑う。100歳を超えていることをつい忘れてしまう。祐子さんと話していると、こちらまで元気になってきます。
1922年生まれ。子どもの頃、家はとても貧しく、小学校を卒業すると呉服店へ奉公(店や家に住み込みなどで働き、仕事を覚えること)に出された祐子さん。そこで、となりのレコード屋から聞こえてきた浪曲(三味線に合わせて、物語を節をつけて語る日本の芸能)に夢中になります。
「浪曲師になりたい」。父親に「6人きょうだいなんだから、一人死んだと思って東京へやってよ」と頼みこみ、18歳のときにひとり東京へ。ところが、頼ったいとこには、「おまえみたいのが浪花節になれるわけねえ」と笑われます。
それでもあきらめず、浅草へ。住みこみで修業を始め、そのまま浪曲の世界を歩み続けました。
「100年生きて、いちばん笑ったことは?」と聞くと、「いつもにこやかで笑ってるよ! 私はね、根が“陽”なんですよ」。住みこんだ先々でも、その明るい性格で近所の人たちにかわいがられたそうです。
やがて戦争が激しくなり、東京では空襲も経験します。戦争が終わったあとも浪曲の世界で、曲師として三味線を弾き続けてきました。
貧乏も、奉公も、修業も、戦争も、二度の結婚も――100年以上生きれば、そりゃあ、いろいろあります。それでも祐子さんの口から出てきたのは、
「後悔したことはないなあ。マジな話」。
103歳の今も、現役の曲師として舞台に立っています。
三味線を弾いて、しゃべって、笑う。今日も祐子さんの大きな声が響きます。

1935年4月19日生まれ。今回登場する「Around 100歳」の先輩たちのなかでは、91歳の若宮正子さんが最年少です。でも、やっていることは誰よりも最先端です。
若宮さんが小学生のころ、日本は戦争をしていました。9歳で、空襲を避けて地方へ移る「学童疎開」を経験。戦争中は授業の代わりに働き、戦後は教科書がなく、授業ができませんでした。学校や社会が大きく変わるなかで、子ども時代を過ごしたのです。
その後、銀行員として働き、58歳でパソコンを衝動買い。今のように、買ってすぐ使える時代ではありません。本を読み、わからないことはくわしい人にたずねながら、少しずつ使い方を覚えました。この出会いが、その後の人生を大きく変えます。
81歳のときには、お年寄りも楽しめるゲームアプリ『hinadan』を開発し、Appleにも招かれました。現在は「ITエバンジェリスト」として活躍しています。「エバンジェリスト」とは、もともと宣教師という意味。新しい技術の魅力や、どんなことに使えるのかを、たくさんの人に伝える仕事です。
次々と新しいアプリやAIが登場するITの世界。若宮さんは、「全部わかろうとしなくてもいいんです。自分に必要なところだけを、つまみ食いするように取り入れればいい」と話します。プログラミングも、つくりたいものに必要なことだけを少しずつ覚えてきました。今回は悪天候のため、若宮さんだけオンラインで取材。ITを使いこなす若宮さんらしい取材となりました。
口癖は、「とりあえず、やってみよう」。海外旅行も大好きで、仕事や旅行で世界各地へ出かけます。91歳の今も、若宮さんは人生を思いきり楽しんでいます。

A
「あなたはきっと、いい人よね」という気持ちで接してみる
私は、本当に友だちに恵まれてきました。子どものころから今まで、たくさんの人が自然に友だちになって、いろいろと助けてくれました。
初めて会う人には、「きっと、この人はいい人だ。私を受け入れてくれる」と思って話しかけてみるといいんじゃないでしょうか。こちらが相手を信じてあいさつをすれば、向こうも心を開いてくれると思います。
反対に、「この人は嫌な人かもしれない」と疑っていると、相手もなかなか心を開いてくれません。まずは「あなたはきっと、いい人よね」という気持ちで接してみる。それが、友だちになる最初の一歩かもしれません。
取材・文/Questionary編集部

1935年4月19日生まれ。今回登場する「Around 100歳」の先輩たちのなかでは、91歳の若宮正子さんが最年少です。でも、やっていることは誰よりも最先端です。
若宮さんが小学生のころ、日本は戦争をしていました。9歳で、空襲を避けて地方へ移る「学童疎開」を経験。戦争中は授業の代わりに働き、戦後は教科書がなく、授業ができませんでした。学校や社会が大きく変わるなかで、子ども時代を過ごしたのです。
その後、銀行員として働き、58歳でパソコンを衝動買い。今のように、買ってすぐ使える時代ではありません。本を読み、わからないことはくわしい人にたずねながら、少しずつ使い方を覚えました。この出会いが、その後の人生を大きく変えます。
81歳のときには、お年寄りも楽しめるゲームアプリ『hinadan』を開発し、Appleにも招かれました。現在は「ITエバンジェリスト」として活躍しています。「エバンジェリスト」とは、もともと宣教師という意味。新しい技術の魅力や、どんなことに使えるのかを、たくさんの人に伝える仕事です。
次々と新しいアプリやAIが登場するITの世界。若宮さんは、「全部わかろうとしなくてもいいんです。自分に必要なところだけを、つまみ食いするように取り入れればいい」と話します。プログラミングも、つくりたいものに必要なことだけを少しずつ覚えてきました。今回は悪天候のため、若宮さんだけオンラインで取材。ITを使いこなす若宮さんらしい取材となりました。
口癖は、「とりあえず、やってみよう」。海外旅行も大好きで、仕事や旅行で世界各地へ出かけます。91歳の今も、若宮さんは人生を思いきり楽しんでいます。

「やっぱり夢は持ったほうがいいね」
1934年7月11日、北海道・札幌生まれ。意外にも、子どもの頃はとても人見知りでした。ひとりっ子で、ひとりで過ごすことも多かったそうです。
ところが、小学校5、6年生のころには、「小さくてもいいから、自分の芝居小屋を作りたい」と思っていました。卒業するときには、クラスのみんながその夢を応援してくれて、本多さん自身もおばあちゃん役で舞台に立ちます。
高校卒業後、本格的に芝居を学ぶため上京し、映画会社・新東宝へ。俳優として歩み始めますが、会社が倒産し、役者を続けることをあきらめます。その後、下北沢で小さな飲食店を始めたところ、これが大繁盛。やがて約40店舗まで店を増やしました。
それでも、芝居への思いは消えませんでした。
「芝居をやりたい人たちが、思いきりできる場所を作ろう」
そう考え、1982年に本多劇場をオープン。現在、本多劇場グループには9つの劇場があります。たくさんの役者や劇団が集まるようになり、下北沢は「演劇の街」と呼ばれるようになりました。
そして92歳になった今も、自ら舞台に立っています。
「そこで誰かに感動を与えられたらうれしい。人の喜びが、自分の感動なんだね」
舞台に立ち続ける理由を、本多さんはそう話します。
今、やってみたいのは、小さな劇場でのパントマイム(言葉を使わず、体の動きで表現する芝居)のひとり芝居です。
「やりたいと思ったことは、思いきってやることだよ」
子どもの頃の夢をかなえた今も、それでおしまいではありません。92歳の本多さんは、また次の夢を描いています。

A
人には、いんちきはしないってこと
人には、いんちきはしないってことだね。
人を裏切らないってこと。なにがあっても裏切っちゃだめだよ。
それから、自分で「この人とは合わないな」と思ったら、無理につきあわなくてもいい。
いい人間とだけつきあっていると、友だちはどんどん少なくなるよ(笑)。
でも、本当に気の合う友だちが少しいれば、それで十分なんじゃないかな。
俺はひとりっ子で、小さい頃はすごく人見知りだった。人の輪にすっと入っていけるほうじゃなかったんだ。
でも、「この人、いい人だな」って思ってつきあった人とは、すごく仲良くなった。大人になってからも、ずっとつきあっていたね。
みんな死んじゃったけど。
お互い、「いんちきな野郎じゃないな」って思える相手だったんだよ。
自分がいんちきだったら、いんちな人が寄ってくる。
どんな人と友だちになるかは、自分がどういう人間でいるかにもよるんじゃないかな。
取材・文/Questionary編集部

「やっぱり夢は持ったほうがいいね」
1934年7月11日、北海道・札幌生まれ。意外にも、子どもの頃はとても人見知りでした。ひとりっ子で、ひとりで過ごすことも多かったそうです。
ところが、小学校5、6年生のころには、「小さくてもいいから、自分の芝居小屋を作りたい」と思っていました。卒業するときには、クラスのみんながその夢を応援してくれて、本多さん自身もおばあちゃん役で舞台に立ちます。
高校卒業後、本格的に芝居を学ぶため上京し、映画会社・新東宝へ。俳優として歩み始めますが、会社が倒産し、役者を続けることをあきらめます。その後、下北沢で小さな飲食店を始めたところ、これが大繁盛。やがて約40店舗まで店を増やしました。
それでも、芝居への思いは消えませんでした。
「芝居をやりたい人たちが、思いきりできる場所を作ろう」
そう考え、1982年に本多劇場をオープン。現在、本多劇場グループには9つの劇場があります。たくさんの役者や劇団が集まるようになり、下北沢は「演劇の街」と呼ばれるようになりました。
そして92歳になった今も、自ら舞台に立っています。
「そこで誰かに感動を与えられたらうれしい。人の喜びが、自分の感動なんだね」
舞台に立ち続ける理由を、本多さんはそう話します。
今、やってみたいのは、小さな劇場でのパントマイム(言葉を使わず、体の動きで表現する芝居)のひとり芝居です。
「やりたいと思ったことは、思いきってやることだよ」
子どもの頃の夢をかなえた今も、それでおしまいではありません。92歳の本多さんは、また次の夢を描いています。