学校と家は、まるで違う星を行き来しているような生活でした
子ども時代、小学校に入る前を思い浮かべると、私は子どもと一緒に過ごした時間がとにかく少なくて、ほとんどの時間を大人に囲まれていました。
いちばん近くにいた母がとにかく変わっていて、それこそ「木はお話するの?」の質問で答えたように、何にでも話しかけるような人だったんです。
たとえば夏の夜、うちはカエルがいっぱい出る家でした。私はカエルがなぜかずっと嫌いで、いまだに気持ち悪くて仕方ないんですが、家の玄関から門まで石の道が伸びていて、その道の両脇からカエルが飛び交うんです。
それがいつも怖くてひとりで通れなくて、母が一緒の時は、私の一歩先を行ってくれたんですね。でも母は、道の途中でしゃがんみこんでは、なぜかカエルが出てくるのを待つんです。そして、本当に魔法使いみたいに、母の手のひらにカエルが乗るんですよ! その時は「気持ち悪い! ママともう一生手をつながない!」って思っていたんですけど。
そして、カエルになにかを話しかけているんです。今思うと、「娘が怖がっているから、もう出てこないでね」と言ってくれていたのかな。
そんな母を見ていて「人はどんなものとも会話ができるんだ」と思って、私も4歳頃から家の庭にあるいろいろなものに話しかけるようになったんです。
たとえば、ちょうど当時の私と同じくらいの高さの石塔があったんですけど、その形が帽子をかぶっている人間の顔に見えて、よく話しかけていました。あとは、ほうきとかバケツとか、動かせるものと遊んでいた記憶があります。木や花、虫と話し始めたのは、公園に行くようになってからでした。
そんな子ども時代を経て、小学校に入ってからは友だち作りにすごい力を入れて、休み時間によく自分から話しかけていました。
でも、それまでは大人とばかり過ごしてきたので、親に言っていたことを子どもにもそのまま言うと、嫌がられることがあって。
たとえば、私はとにかく人の「鼻」が好きな女の子だったんですね、おじいちゃんの鼻が世界でいちばん嫌いで、「この鼻だけにはなりたくない」っていつも思っていて、それからずっと人の鼻を見るようになって。
小学校に入ってからもクラスメイトの鼻を見ては、「なんでそんなに大きいの?」と聞いたりして、そしたらすごい嫌がられて、泣かせてしまったときもありました。
家ではそんなことを言っても楽しく会話ができていたので、だんだん人は何で嫌がるのかを学んだんです。
それからは友だちがどんどん増えていきました。友だちを作ってからの学校ほど、楽しいものはないです。今でも戻りたいくらい、本当に楽しかった。
家にはお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、おじいちゃんは友だちがたくさんいてほとんど家に帰ってきませんでした。
全然子ども扱いされなくて、甘えが許されない家で。ゲームも絶対ダメだし、いつも「外に行って遊んできなさい」と言われていたので、家の中でおもちゃで遊ぶようなことはありませんでした。
風邪を引いても「寝てなさい」ではなくて、「風に当たって直してきなさい」という感じでした。
最初に言った通りうちの母はとても変わっていて、会話がかみ合わないこともよくあったんですが、友だちのお家に行った時、はじめて「これがお母さんなんだ」「お母さんとこんなに会話ができるんだ」と思ったんです。だから、途中からうちの母はお母さんじゃなくて、お姉ちゃんだと思うようにしていました。
当時の私はそんな親たちのことが恥ずかしくて、あまり家から出てほしくない、保護者面談もなるべく来てほしくないと思っていました。友だちが家に来ても、「できるだけ部屋に来ないで」とお願いしていたくらい。
今は、何であんなに家族を恥ずかしがっていたのかわからないし、もっといろいろな人に紹介しておけばよかったと思うんですが。
だから私にとって、学校は子どもとして遊べて、子どもとして見てくれて、みんなと同じことができて、本当にありがたい場所だったんです。「1時間でも長くいたい!」と思っていました。
例えるなら、学校は地球の中の日本という場所にある、ちゃんとルールのある世界。でも家は、もちろん嫌なことをされるわけではまったくなかったんですが、違う星の人たちと暮らす世界というか、「火星人3人とひとりの少女の生活」みたいなイメージでした。
でもそんなふうに、まるで違う星を行き来していたような生活だったから、ファンタジー好きな今の私ができたのかもしれません。
だからみなさんにも、小学校の時はなんでもいいから、どこかの場所に良い思い出を持って欲しいなあとすごく思います。
もちろんお家でいっぱい勉強した思い出でもいいです。私にとっての学校のように、そういう場所を持ってもらえたらうれしいです。