『これだけは譲れない』というときは、行動すべき
これはもう生まれつきとしか言いようがないのですが、私は、子どもの頃からわりとまわりの空気を読む力がありました。
学校で、あの子とあの子は仲良くなるけどあの子とあの子はきっと合わないとか、この子はのけ者にされちゃうなというのがわかったんです。
ある時、クラスに馴染めていなかったA子とB子は絶対友達になれると思ったから、「ふたりお友達になれば?」と言ったら仲良しになって、ふたりのお母さんから感謝されたのを覚えています。小学校3、4年生ぐらいかな、人間関係調整係です(笑)。
そして、こうすれば親は怒らない、というのもなんとなくわかっていました。
そもそも、親や大人に言われたことはちゃんとやるタイプでした。だからか、母に怒られたことはないし、母は「なんでも好きにしなさい」とわりとほったらかしで、私に「こうしなさい」と押しつけるようなことはありませんでした。
ある日学校で小さなテストがあって、その中に「コップ一杯の雪を溶かしたら、水はどのぐらいになるか?」という問題がありました。
事前にその問題が出るかもしれないことはわかっていたので、母に話したら「とにかく水の量がいちばん少ないのが正解だから」と言って、私もその通りに答えを選んだんです。
ところが、その答えは×で戻ってきました。すると、母は答案用紙片手に「水の量は絶対少なくなるはずです」と、わざわざ先生に抗議しに行ったんです。結局、先生も「お母さんが正しい」となって、私のその答えは⚪︎になりました。
優しいお母さんに、こんな一面があったのかと驚きました。
その担任の先生はいい先生で、私が大人になってからも多少交流があったんですが、会うたびに言われました。「あのときのお母さんはすごかったよ」って(笑)。
それ以来、母のその姿から学んだ「『これだけは譲れない』というときは、行動すべき」という姿勢は、ずっと心の中にあります。
熱中しているものには必ず何かある
パラパラ漫画は、7歳ぐらいから描いていたかもしれません。
その後、少女漫画や、手塚治虫先生の鉄腕アトムの漫画を、1ページそのままわらばん紙に描き写す「ページ模写」を始めます。
それをやっているうちに、小学校3年生くらいから、「この物語はここからこう変えたほうが面白い」と、ストーリーを変え始めるんです。
そのうちにキャラクターはそのままで、全然違う話を描いたりして。
だから、私は絵を描きたいというより、物語を動かしたかったんですね。
そもそも、当時から自分が感動したことを物語にして人に伝えたい。その気持ちが根底にありました。
「あの映画、こういう話で面白かったよ」とただ話すのではなく、その面白さを抽出して、自分がそのとき味わった気持ちとなるべく同じ気持ちになるように再構成して、人に伝えたかったんです。
私の場合、その表現方法が漫画でした。
もし、作曲能力や歌唱能力があったらシンガーソングライターになったかもしれないし、言葉だけで伝えられる能力があれば小説家になったかもしれない。
でも、漫画が表現方法として自分に向いていたんだと思います。単純に絵を描いてるときは気持ち良かったし、時間を忘れて熱中していたので。
だから、そのときは気づかないんだけど、小さい頃に熱中するものには絶対何か理由があるんですよね。