教科書とは違う言葉の力が身についた
勉強はそんなに得意じゃなかったですね。だから親には「勉強せえ勉強せえ」と言われましたけど、小学校2年生の時に『物語日本史』という本と出会って、夢中で読みました。
そのおかげで、教科書とは違う言葉の力が身についたんです。小学校5、6年生の頃にあった漢字検定的なテストで、同級生はほぼ一問もできないのに、自分だけほぼ全問わかったということがあって、自分の語彙力が普通の人とは違うと気づきました。
だから、「どうして勉強しなきゃいけないの?」の質問に対して「勉強は我慢の練習です」と言いましたが、私の場合、その語彙力で「どうして勉強しなきゃいけないのか、なぜ我慢をしなきゃならないのか」という議論において、教師や親に打ち勝っていました。
人間って、おもろい
子どものときは、わからないことに満ちていましたね。
だから楽しかったのかもしれない。
大人たちのことも、自分が知らないことをいっぱい知ってて、魔法使いのようにとてつもない力を持ったすごい人たちなんやと思ってました。
大人になってみると、大人は思っていたよりつまらなくて合理的だと気がつくんですけど、それでも当時の大人は、今ほど嘘をついてなかったというか、建前を言っていなかった気がします。だからおもろかったんでしょうね。
今も常に人間の「おもろさ」に興味があります。
人間って、昔からそんなに変わってないと思います。
あいつが好きだとか嫌いだとか、俺がもっと目立ちたいとか、損したくないとか、どんな偉い人でもアホみたいなことを考えてるんじゃないかな、と。
でも、一方で真剣な議論もいろいろされていて、その両方があるから人間ておもろい。
歴史は繰り返すって言いますけど、ほんとアホの連鎖ですよ。