「よそ者として生きる」
小学生のころ、私は背が低かったのです。「チビ!」といわれたこともありました。背が高い男の子とか、スポーツができる男の子はモテるのです。私は勉強が得意なほうでした。ところが、勉強ができても、背が低くてスポーツが不得意だとモテない。自分にウソをついてまでして、人に気に入られようとする人なんてつまらないって、僕は思うんですけどね。
モテないけど勉強では負けないとあまり健全ではないことを考えたこともあったけど、ある日気づいたのです。私は人をイヤな気持ちにさせる言い方をしたことはなかった。それに気がついたとき、自分にもいいところがあると思えるようになりました。
勉強も頑張ってしましたが、人に勝つためではなく、知らないことを知るのが楽しくてするようになりました。人との競争に勝つために勉強すると言うのは健全な考え方ではありません。
私の母は友達があまりいないことを心配して、担任の先生に相談しました。そうしたら先生は「岸見君は、友達を必要としない」と言ったそうです。もう少し大きくなってからの話ですが。
友達と一緒にいたいとか、楽しい時間を過ごしたいというようなことは自分にとっては大切なことではないと気づいたときに、友達が多い多くないということが気にならなくなりました。
哲学者のエーリッヒ・フロムの言い方をすると、「よそ者として生きる」。つまり、みんなと同じように生きなくていいということを、わりと早い時期からわかっていたのです。
友達はたくさんいないといけない、明るくしてないといけない。世の中には昔からそんな空気があります。でも、自分にウソをついてまで、人に気に入られようとする人生なんてつまらないですよ。
モテないけど勉強では負けないとあまり健全ではないことを考えたこともあったけど、ある日気づいたのです。私は人をイヤな気持ちにさせる言い方をしたことはなかった。それに気がついたとき、自分にもいいところがあると思えるようになりました。
勉強も頑張ってしましたが、人に勝つためではなく、知らないことを知るのが楽しくてするようになりました。人との競争に勝つために勉強すると言うのは健全な考え方ではありません。
私の母は友達があまりいないことを心配して、担任の先生に相談しました。そうしたら先生は「岸見君は、友達を必要としない」と言ったそうです。もう少し大きくなってからの話ですが。
友達と一緒にいたいとか、楽しい時間を過ごしたいというようなことは自分にとっては大切なことではないと気づいたときに、友達が多い多くないということが気にならなくなりました。
哲学者のエーリッヒ・フロムの言い方をすると、「よそ者として生きる」。つまり、みんなと同じように生きなくていいということを、わりと早い時期からわかっていたのです。
友達はたくさんいないといけない、明るくしてないといけない。世の中には昔からそんな空気があります。でも、自分にウソをついてまで、人に気に入られようとする人生なんてつまらないですよ。