死んだらどこへ行くの?(5歳・女子)

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登山家
渡邊直子さん
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クライマー
平山ユージさん
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モデル・タレント
滝沢カレンさん
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詩人
伊藤比呂美さん
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猟師
黒田未来雄さん
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ファッションスタイリスト
竹村伊央さん
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児童文学作家
角野栄子さん
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。現在は看護師として働きながら、ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈)に14座ある標高8000m超の山々に挑む。現在13座に登頂すみで、あと1座(シシャパンマ)を登ると日本人女性初の全座制覇の偉業となるが、「それは通過点。子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と語る。
A
大人になった今は”無”だと思っています
取材・文/Questionary編集部
1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/
A
人間の死は、“地球の新陳代謝”
僕は人間の死は、“地球の新陳代謝”だと思っているんです。
今まで受け継いだものをより良くして次の世代に、という、命のサイクルの中にいるというイメージ。
亡くなった人も、僕の場合は地球の中に溶け込んでいくというか、戻っていくという感じがしています。
取材・文/Questionary編集部
1969年生まれ。15歳でクライミングに出合い、10代で国内屈指のクライマーに。その後、フランスに8年移住しトップクライマーとして活躍。1998年のワールドカップでは、アジア人として挑戦するクライマーがまだいない中、総合優勝を達成。2000年には2度目のワールドカップ総合優勝を飾り、年間ランキング1位にも輝く。その偉業の数々と美しいクライミングスタイルは、世界中のクライマーから今もなおリスペクトされ続けている。2010年にクライミングジムClimb Park Base Campを設立。以降クライミングジムの運営や、一般社団法人小鹿野クライミング協会の会長を務める傍ら、オリンピックやワールドカップで解説者を務めるなど幅広く活動中。公式ホームページ https://yuji-hirayama.com/
Instagram https://www.instagram.com/yuji_hirayama_stonerider/
1992年5月13日生まれ。東京都出身。2008年モデルデビュー。雑誌『Oggi』の専属モデルとして活躍する一方、バラエティ番組への出演、女優活動、また映画『君たちはどう生きるか』や『窓ぎわのトットちゃん』で声優を務めるなど、幅広く活躍。著書に、自身のレシピをユーモアな語り口でまとめ20万部を突破した料理本『カレンの台所』(サンクチュアリ出版)、名作のタイトルと少しのヒントを元にオリジナルの物語を綴った『馴染み知らずの物語』(ハヤカワ新書)。どちらも見たことのないような新しい言葉、表現に出会える、世界に対する視野が広がる一冊。
A
何も知らずに行った方が楽しいんじゃないかって思います
私はどちらかというと「死んだらどこへいくの?」より「早く生き返るにはどうしたらいいの?」という質問を、週に1回くらい誰かに聞いています。
私は一回死んで人生の幕が閉じて、次の幕開け、つまり誰かのお腹からまた生まれ変わるまでの時間を、なるべく短くしたいんです。その間が2、3年であれば、きっと地球はそんなに変わっていないだろうし、そうやって生まれ変わる間の時間を短くして生まれ変わり続ければ、ずっと世界の“変化”を見続けられるから。
ただ、「どうやって早く生き返られますかねえ」と聞いて、「こうしたらいいよ」なんて言ってくれる人はひとりもいません。「どうしたらいいんだろうね」で終わっちゃいます。でも、それでも聞き続けているということは、私はこの「人に解けない問い」が好きなんですね。
例えば、死んだ後行く場所は、緑の原っぱで、紫色の船があって、茶色い水の上に浮いているとか、まだ誰も行ってない場所の正解を言われたらつまんないじゃないですか。
そもそも私は、仮にスペインに行きたいと思っていたとして、スペインに行ったことがある人に現地の写真を見せられるのも、あまり好きじゃないんです。
だから私は、何も知らずに行った方が楽しいんじゃないかって思います。
取材・文/Questionary編集部
1992年5月13日生まれ。東京都出身。2008年モデルデビュー。雑誌『Oggi』の専属モデルとして活躍する一方、バラエティ番組への出演、女優活動、また映画『君たちはどう生きるか』や『窓ぎわのトットちゃん』で声優を務めるなど、幅広く活躍。著書に、自身のレシピをユーモアな語り口でまとめ20万部を突破した料理本『カレンの台所』(サンクチュアリ出版)、名作のタイトルと少しのヒントを元にオリジナルの物語を綴った『馴染み知らずの物語』(ハヤカワ新書)。どちらも見たことのないような新しい言葉、表現に出会える、世界に対する視野が広がる一冊。
1955年東京都生まれ。78年に『草木の空』でデビュー、80年代の女性詩ブームを牽引。結婚、出産を経て97年に渡米。詩作のほか小説、エッセイ、人生相談など幅広い創作活動を行っている。『河原荒草』で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞したほか、『道行きや』(新潮社)、『いつか死ぬ、それでも生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)、『対談集 ららら星のかなた』(谷川俊太郎氏との共著)など著書多数。
A
いつか死ぬ、ということは、それまで生きるということ
それは、死んでみないとわからないです。
私もいろいろな人に聞いてみたけど、みんな「死んでみないとわからない」と言います。
でも、死んじゃったら誰も教えてくれないんですよ、今どこにいるか。
だから、仕方がない。みんなが興味があるけど、解決できない質問です。
「いつか死ぬ、ということは、それまで生きるということなんだなあ」
私は、そんなことをよく考えています。
取材・文/Questionary編集部
1955年東京都生まれ。78年に『草木の空』でデビュー、80年代の女性詩ブームを牽引。結婚、出産を経て97年に渡米。詩作のほか小説、エッセイ、人生相談など幅広い創作活動を行っている。『河原荒草』で高見順賞、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)で萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞したほか、『道行きや』(新潮社)、『いつか死ぬ、それでも生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)、『対談集 ららら星のかなた』(谷川俊太郎氏との共著)など著書多数。
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。著書に「獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り」(小学館)。
A
どこかに行くということではなくて、ここにあるすべてになる
僕も幼稚園ぐらいのとき、母親に聞きました。
僕は、死んだらどこにも行かないと思っています。
どこかに行くということではなくて、ここにあるすべてになる。
例えば、僕をつくっているものは、僕が食べたもので、つまり死んだものからできているわけですよね。
そう考えると、死んでいることと生きていることの境目は曖昧で、どこから死んでいてどこから生きているのか、あまりパキッと分かれてないんですよね。
例えば、人間でいえば爪を切るとき、さっきまで体の一部として生きていた爪は、切られたら捨てられちゃうわけじゃないですか。
それは髪の毛やうんちもそうで、つまり、自分の中で常に“小さい死”が起きているんです。
じゃあ、「死んだらどこに行くの?」 と思うのであれば、「自分の切った爪や、自分から抜けた髪の毛はどこに行くの? 」と考えてみると、そこにヒントがあるんじゃないかなと思います。
僕の師匠であるカナダの先住民・キース(タギッシュ/クリンギット族)は、人間のことを”Part of the land, part of the water(大地の一部、水の一部)”、つまり、人間は大地から生まれて一時的に人間の形をしているけれども、また大地にかえっていくんだよ、と。
そういうことなんだろうなって思っています。
取材・文/Questionary編集部
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。国産自動車のアフリカ諸国への輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。著書に「獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り」(小学館)。
高校から服飾専門科を学び、卒業後渡英。University for the Creative Arts大学にてMAを取得。英国のエシカルファッションムーブメントを作り上げたアップサイクルブランドの1つ、 JUNKY STYLINGに勤務。同時にファッションスタイリストとしてもエシカルを中心としたスタイリングを手がける。 2010年帰国後、2012年にエシカルファッションの啓発活動をする団体:ETHICAL FASHION JAPAN(EFJ)を設立。 2015 年よりFASHION REVOLUTION JAPANのカントリーコディネーターを務める。一般社団法人unisteps共同代表理事。一児の母。
A
次の人生があると思う
私は、死んだら次の人生があると思っています。 だからこそ、次の人生でも楽しく過ごせるように、今の人生をちゃんと大切に生きたいと思っているんです。
それって、実は洋服にも少し似ている気がします。
もし服にも「人生」があるとしたら、自分がそれを手放すとき、“私との人生の終わり”かもしれないけれど、同時に“その服の新しい人生のはじまり”でもある。
だからこそ、私の手元にある間は大切に、きれいに使って、気持ちよく見送ってあげたいと思うんです。
回収ボックスに入れてリユースされるのもひとつの方法だし、誰かに直接手渡すこともある。
でも私は、その服が次の人生をどう歩んでいくのか、自分なりにちゃんと考えて、納得したかたちで送り出したいなと思っています。
取材・文/Questionary編集部
高校から服飾専門科を学び、卒業後渡英。University for the Creative Arts大学にてMAを取得。英国のエシカルファッションムーブメントを作り上げたアップサイクルブランドの1つ、 JUNKY STYLINGに勤務。同時にファッションスタイリストとしてもエシカルを中心としたスタイリングを手がける。 2010年帰国後、2012年にエシカルファッションの啓発活動をする団体:ETHICAL FASHION JAPAN(EFJ)を設立。 2015 年よりFASHION REVOLUTION JAPANのカントリーコディネーターを務める。一般社団法人unisteps共同代表理事。一児の母。
1935年東京・深川生まれ。大学卒業後、紀伊國屋書店出版部勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年作家デビュー。代表作『魔女の宅急便』は舞台化、アニメーション・実写映画化された。産経児童出版文化賞、野間児童文芸賞、小学館文学賞等受賞多数。その他、「アッチ、コッチ、ソッチの小さなおばけ」シリーズ、『リンゴちゃん』『ズボン船長さんの話』。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2016年『トンネルの森 1945』で産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、18年3月に児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人として3人目に受賞。2023年には、「魔法の文学館」(江戸川区角野栄子児童文学館)がオープンした。
A
きっと良いところに行くと思っています
私もわからないわ! 死んだことがないから。
でも、きっと良いところに行くと思っています。
私の母は、私が5歳の時に亡くなりました。
それ以来「人はいつ死ぬかわからない」という変な覚悟のようなものを、私はずっと持っています。
父も、姉も急に死んでしまうかもしれない。人間ってそういうものだということを、5歳のときに経験してしまったのですね。
母はどこに行ってしまったんだろうと想像するなかで、お墓にお骨を納めた場面を覚えています。でもそのとき、「あんな暗い場所にいるなんてかわいそう」と感じました。
だから、もっといいところに行かせてあげたいと思ったし、きっとお骨とは別に、母の気持ちはもっと明るくて心地よい場所にいるんじゃないか──そんなふうにも思いました。
そういえば父が「見えない世界がこの世にはある」ってしょっちゅう口にしていました。
見える世界の価値ばかり追いかけないで、見えない世界を大事にしないといけない、ないがしろにしたらとんでもないよ、って。
それは今も、私にとって大事な教訓です。
取材・文/Questionary編集部
1935年東京・深川生まれ。大学卒業後、紀伊國屋書店出版部勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年作家デビュー。代表作『魔女の宅急便』は舞台化、アニメーション・実写映画化された。産経児童出版文化賞、野間児童文芸賞、小学館文学賞等受賞多数。その他、「アッチ、コッチ、ソッチの小さなおばけ」シリーズ、『リンゴちゃん』『ズボン船長さんの話』。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2016年『トンネルの森 1945』で産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、18年3月に児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人として3人目に受賞。2023年には、「魔法の文学館」(江戸川区角野栄子児童文学館)がオープンした。