お母さんがわからないしゅくだいはそのうち出てきます。でも、お母さんがダメなのではなくて、べんきょうとはそういうものです。つまり、世の中にはおとなもわからないことがたくさんあるし、もっというと答えが出ない問いもある。
だから、わからないときに「わからない」と言えることはすごいことなのです。
哲学という学問で言うと、ソクラテスの言う「無知の知」や、デカルトの「すべてを疑う」といった考え方がまさにそうです。
だから、わからないときに「わからない」と言えることはすごいことなのです。
哲学という学問で言うと、ソクラテスの言う「無知の知」や、デカルトの「すべてを疑う」といった考え方がまさにそうです。

私は小学校3年生のとき、「人間はなぜ死ぬのか」ということを考えつづけたときがありました。生きるのもむなしくなって、ごはんも食べられなくなった。死んだら今かんがえてること、かんじていることがぜんぶきえてしまうと思うと、こわかったのです。でも、高校生になって”哲学”と出会って、答えの出ない自分のぎもんに答えを出せるのではないかと思って、それからずっとべんきょうしています。








