「考えるって、すばらしい」
小さいころは、本を読むのが好きでした。いちばん好きだったのは『トム・ソーヤの冒険』。それと、5年生くらいのころ、たまたま『哲学入門』という新書を手に取って買ってきたんです。わからないながらも、哲学というのはあらゆることを自分で考えるという学問である、と知ったのを覚えています。なんだ、考えてりゃいいのか、とも思いましたが、「考える」というのは人間としてすばらしいことなんだな、と思いました。
41歳で東京大学に入った理由は、「哲学」を勉強したいのではなく、「哲学」したかったんです。私は今何をしたらよいのか、あのとき何をすればよかったのか、これから何をしてどう生きていけばいいのか、ということを考えて考えて、知る。それを私は、「哲学」と考えています。
そもそも本を好きになったのは、父親の影響でした。父は、私の手本みたいな人だったんです。小学校しか出ていなかった父は、戦争から戻ると、働きながらいろいろなことを学んでいました。私が小学生のころ、夜中に父がひとりで机に向かっているのを何度も見ました。45歳を過ぎてから司法書士の資格をとり、ずっと勤めていた製薬会社を定年退職後も、10年間同じ会社に残って法律事務の仕事を続けました。さらに、65歳からはシルバー人材センターでふすま張り職人となり、20年間続けてから84歳のときにそれをやめると、今度は俳句教室の講師になりました。父は10歳ごろから学校が終わると奉公にいって、夜遅く帰ってきていたから勉強する時間がなく、大人になっても分数の計算もわからないのでそこからやり直したんだよ、となぜかうれしそうに言っていました。勉強できることが楽しくて仕方なかったみたいです、えんぴつの銘柄(めいがら)選びさえ楽しそうでした。
私には、布団に入りながら宮本武蔵とか、塚原ト伝、千葉周作といった剣豪の話を毎晩のようにしてくれて、想像力をふくらませてくれましたね。だから自分も、郵便局員として働きながら東京大学に通い始めた頃、ふたりの息子が10歳と6歳でしたが、19時には家に帰り、毎日一緒にお風呂に入ってふたりと一日のできごとを話しあったり、寝る前に絵本を読み聞かせしたりして、21時には一緒に寝て、翌朝3時に起きるという毎日でした。父がしてくれたことを、自分の息子たちにもできるだけしてあげたつもりです。
小学校4年生から6年生までは、勉強よりも野球ばかりやっていました。でも6年生で肩を壊してしまって、それからは左手で投げる練習をして。それくらい好きだったんです、上手いかどうかは別として。この3年近くの経験があって、東京大学のインド哲学の野球チームの練習や郵便局の野球チームで少し活躍できました。だから、どんなことでも、好きなことに夢中になっていたら、大人になると何かに結びつくかもしれません。