INTERVIEW

INTERVIEW

When I was your age

「わたしが君の年だったころ」

プロフィール

渡邊直子

登山家

渡邊直子(ワタナベナオコ)さん

1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。現在は看護師として働きながら、ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈)に14座ある標高8000m超の山々に挑む。現在13座に登頂すみで、あと1座(シシャパンマ)を登ると日本人女性初の全座制覇の偉業となるが、「それは通過点。子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と語る。

「知らないことを知ることが楽しかった」

小さいころの性格は、ひっこみ思案でしたね。でも、ふりかえればよく冒険をしていました。
3歳のとき、両親のつきそいなく登山やサバイバルキャンプに参加したり、小学生になってからは、アジアの子どもたちといっしょに中国にある無人島でキャンプしたり、雪山登山をしたり。
でもそれは、親に「行ってきなさい」と言われたわけではなく、「こんな募集があるけど行ってみる?」と聞かれて「行く」と自分の意志で参加していました。3歳のときも、最初親といっしょに行って、2日目に母が「子どもがあぶないと目を離せられないでいるから、私たちにまかせなさい」と主催者側に言われて、次の日から母親のつきそいなしになりました。イヤだったら私は大泣きしていたと思うので、それが無かったから自分の意志で行ったんだと思います。
こんなふうに、今思うと両親ふくめ、まわりの人たちが自然と冒険に導いてくれていたと思います。知らないことを、自由な雰囲気の中でたくさん経験させてくれた。
あとは、私もよく参加していた、子どもたちにユニークな冒険の場を提供するNPO法人『遊び塾ありギリス』(現在は解散)の大人たちが、みんなおもしろいと思ったことはとにかくやる、はちゃめちゃな人ばかりで、「こんな大人でもいいんだ!」「人と違うことをしてもいいんだ!」と思えたことは、今の自分にも大きく影響しています。トラブルやハプニングが起こってもそれをも楽しむ大人たちをみていて、私も同じような考え方になりました。
小学校のときにいじめにあいましたが、そんなたくさんの”冒険”のおかげで、無視されたとしても自分の居場所は学校だけじゃない、ということがわかっていました。だから、むしろいじめてくる子たちがダメなんだと思えたし、それはそれでわり切って、でも勉強はしたかったので学校には行っていました。
子どもの頃の冒険からさまざまなことを学んだので、今度は私が、将来子どもたちに冒険できる場として、ヒマラヤでの冒険の楽しさを伝えていけたらと思っているんです。

取材・文/Questionary編集部

INTERVIEW / 2023.10.17

  • わたしが君の年だったころ

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渡邊直子

登山家

渡邊直子(ワタナベナオコ)さん

1981年福岡県大野城市生まれ。3歳から登山やサバイバルキャンプを始め、小学生になるとアジアの子どもたちといっしょに中国の無人島でキャンプしたり、4年生で雪山登山を経験し、12歳で4700mの山に登頂するなど、冒険に慣れ親しんだ幼少期を過ごす。現在は看護師として働きながら、ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈)に14座ある標高8000m超の山々に挑む。現在13座に登頂すみで、あと1座(シシャパンマ)を登ると日本人女性初の全座制覇の偉業となるが、「それは通過点。子どもたちをヒマラヤに呼んで、冒険できる場を提供していきたい」と語る。

「小学校のころは、とにかくイライラしていましたね。」 記事一覧 ブラジル・エステーヴァン村